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L'art de croire             竹下節子ブログ

ゲディギャンの『キリマンジャロの雪』

キリマンジャロの雪Les Neiges du Kilimandjaro (2011)

ロベール・ゲディギャン。アリアンヌ・アスカリッド、ジャン=ピエール・ダルッサン、ジェラール・メイラン

ここのところTVで観た映画があまりしっくりこなかったので、『キリマンジャロの雪』を観ることにした。50代後半の夫婦を演じる2人の俳優に信頼がおけるので期待した。

彼らを見ていると、今年の初めに死去したジャン=ピエール・バクリとアニエス・ジャウイのカップルも連想する。

シェイクスピアの短編のグレゴリー・ペックの古典映画とは違い、マルセイユの労働者夫婦の話だとは知っていたけれど、結婚30周年記念に子供たちや元同僚や友人たちからキリマンジャロのあるタンザニアで野生動物を観察できるガイド付き旅行券と現金のプレゼントをもらうという出だしは読んでいたので、キリマンジャロのロケがみられるのかなあ、そしたら気分転換にもなるし、と視聴することにした。

すると、なんだか地味な話で、夫婦の愛情は微笑ましいが、失業して暇になるので食事の支度をしたり孫の世話をしたりする夫と、家政婦として毎日働く妻や、親よりは安定した暮らしをしている子供たちとの間の小さな齟齬や葛藤が織り込まれたり、平凡な熟年夫婦(夫の幼馴染と妻の妹が結婚しているので二組の夫婦は仲がいい)のストーリーなのかと思った。

すると衝撃的な展開。

日本語の宣伝サイト等見ると、「思いやりが大切」なんて人情話のキャプションが表に出ているけれど、そんな単純なものではない。



ロベール・ゲディギャンはアルメニア系でマルセイユに生まれ、フランスのケン・ローチと呼ばれる社会派の監督で、アリアンヌ・アストリッドの夫だ。やはりマルセイユが舞台だった彼の『マリウスとジャネット』は封切時に観たが、その映画のタイトルロールはアスカリッドとジェラール・メイラン(この映画では主人公の義弟役)で、彼らはいつも実年齢に合わせて映画を創っている。


このブログの方の感想が最も納得がいくので、ネタバレになるけれどストーリーもこれを読んでほしい。ここです。


日本語サイトには、封切当時監督が来日したインタビューでこんなことを言っていたとある。

(週刊金曜日)

>>>対談 雨宮処凛×ロベール・ゲディギャン

Q 貧困、経済格差一日に90人が自殺する「やさしくない社会」、日本。 なのに100万人規模のデモは起こらない。 「世代間格差の壁」で連帯できないんです。 なぜフランスではそれができるんですか?

A フランス人は自国の歴史を学ぶ中で自然と社会主義思想が根づいていきます。 だから世代を超えて連帯できる。 何かあれば政治に物申しコミットすることが生活の中で習慣として定着してるんです。<<<

ううん、ゲディギャンはバリバリのサンディカリスト(組合主義者)だろうけれど、もう10年前のこの映画の時代ですら、「世代の差」が語られているくらいで、もう「社会主義思想が根付いている国」などと言えないだろう。

この映画でも、主人公のミシェルは、労働組合の委員長として、多くのストやデモを組織してきたし、それを誇りに思っているし、看護師になる勉強をやめて夫を支えた妻も夫を誇りに思っている。

でも、それが破綻する。

自分の特権を捨てて平等に籤によって失業したとは言え、ミシェル夫婦は持ち家があるし、失業の一時金や失業保険もあるだろうし、初めての贅沢とはいえアフリカ旅行をプレゼントしてくれる子供や友人に囲まれている。

けれども、彼のリストラ策は実は平等ではなかった。

ミシェルらを襲って逮捕されたクリストフからなじられるように、リストラを籤で決めるというのではなく、組合は一人一人のシチュエーションを検討して、最も困窮している者、未成年を一人でかかえている者などをリストラしないように検討すべきだった。一人一人の生活を見るべきだった。

ジョレスに傾倒し、社会主義的平等の実現のために闘ってきたと自負していたミシェルは、いつの間にか、組合と政治の癒着や妥協にも慣れてしまい、「労働者」というカテゴリーを「平等」に扱っていたのだ。「労働者」や「組合員」というレッテルではないそれぞれの人生の困難の局面にある個人を忘れていたのだ。

クリストフの事情を知って、社会主義的、労働組合的なユートピアと自己満足の破綻を認めざるを得なかったミシェルと彼の妻は、そこで、また意外な「赦し」のユートピアに向かう。

一種のおとぎ話だ。

それでも、彼らがクリストフの弟たちをうちに迎えると聞いた息子や娘は、孫である自分たちの子供がいるのに、犯罪者の家族といっしょにするのか、と普通に嫉妬する。そして、セミリタイアした父親が家事や孫の世話をするのはいいけれど、自分たちの小さかった時には、父親は組合活動に夢中で、仕事とは別に会議やデモでうちを開けることが多く、子供の顔など見ていなかった、と「本音」が出る。それでもミシェル夫婦は決意を変えないのだけれど、この時に実の子供たちが反対するシーンがすごく説得力があって、この映画をただのおとぎ話にしていない。


若いクリストフもミシェル夫婦のパーティに出席していた。そこで、同じリストラ組と言っても、二人の弟を食べさせるだけで困窮している自分の前で、労組の委員長だったミシェルが「アフリカに行って動物を見る」という贈り物を享受しているのを見せつけられたわけだ。遠いアフリカ、はるかなキリマンジャロの山頂の雪、それは、ミシェルが戦い続けてきたはずのブルジョワの特権のシンボルのように見えただろう。

この映画をカンヌ映画祭で観たような人たちにとっては、そして映画館で金を払って観た多くの人にとっては、クリストフの困窮だけでなく、ミシェル夫妻の慎ましい暮らしぶりですら別世界のことだろう。それでも、この映画にヒューマンなインパクトがあるのは、やはり、芸術の力だ。

「思いやりで世界はよくなる」式のお花畑思考や慈悲行の称揚というゾーンの一歩手前でとどめる腕前が大したものだ。


この映画はユゴーの詩『Les pauvres gens』 にインスパイアされたというので好奇心をもってネットで全編読んでみたら、それがすばらしいことに感動した。ユゴーも確かに社会主義的伝統にいたわけだけれど、その内容を乗せて運ぶ「詩」という船があまりにも美しく、その進め方のシンプルな強さは、魂の奥にまで浸透する。この詩をバカロレアのために暗唱したという人のコメントもあった。フランス語の力はすごい。

ユゴーの「貧しい夫婦」の夫は5人の子供に毎日の糧を運ぶだけのために毎日命がけで漁に出る。妻には「祈る」ことしかできない。それなのに孤児になった燐家の2人の子供を引き取ろうという。無謀でしかない。けれども、もともと、「祈る」ことだけで夫婦の生活はなり立っている。子供が増えたら、神さまはみんなを養えるだけの魚をきっと捕らせてくれるだろう、と夫婦は思う。「信仰」とは「信頼」で、ユゴーの詩がこれほどまでに美しいのは、この不条理なほどの「愛」のせいだ。

ゲディギャンは、685月革命の洗礼を受けた典型的な「左翼無神論」イデオロギーの人なので、この映画には神や祈りは出てこない。でも「貧しきものは幸いなり」への確信が淡々と脈打っている。


(余談だが、バーテンダー役にピエール・ニネが出ているのが驚き。何が起こるのかと思わせる。)


by mariastella | 2021-09-02 00:05 | 映画
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