マリー・アントワネットのシリーズやキリスト教徒イスラム教のシリーズを書き始めるつもりなのだけれど、新学期でやることが多く、それでも日常でいろいろ気づいたり思いついたりすることもあるので忘れないようメモしておく。
昼食をうちで摂る時、デザートとコーヒーの頃に、David Louapre の科学ものYoutube のシリーズを必ず一つは視聴するようになってひと月以上経つ。
普通のニュース番組の、世界中の内戦やら、独裁政治やら、コロナ禍やら、フランス大統領選やらマルセイユの麻薬ディーラーやらの話はもう許容の限界を超えたので、ひとまず思考停止。
で、さわやかで、感じよく、分かりやすいルアープルさんのいろいろな解説、はじめは、中学高校の数学のフランス語ボキャブラリーのない私は敬遠していたのだけれど、彼の話が分かりやすいので、今ではフランス語の方がよく分かるようになった。
というか、日本語を忘れている。
例えば、nombre premier と言われればよく分かるけれど、それが日本語では何と言ったっけ、と考えて「素数」だと思い出しても、ピンとこない。漢字の言葉と数学って、あまりしっくりこない。フランス語の用語の方が意味が分かる。
また、例えば、 f(x) というのは、フランス語では 「f de x」 (xのf)と読むのだけれど、これを日本語で何と呼んでいたのかもう思い出せない。
とにかく彼のおかげで、相対性理論、量子力学、フラクタル理論、リーマンの定理、ゲーデルの不完全性定理、フェルマーの最終定理などと次々に視聴していった。
全部理解できるかというと、無理で、途中までは楽しく聞いているのだけれど、数式が複雑になると、ギブアップすることがよくある。
それ以上がんばって理解しようともしないし、スルーする。
そんな時、そうか、人文系の理論や論文でも、ひょっとして同じなんだろうなあ、と思った。例えば私のこのブログでさえ、「難しすぎる」と言って読むのをやめてしまう人がいる。著書でも、すごく刺激的でおもしろい情報をたっぷり紹介しているつもりなのに、やはり「難しすぎる」と言われることがある。
理解力のセンスやアンテナの向きって、いろいろなんだなあとあらためて思った。
かといって、「万人向き」のレベルではうかがい知れない魅力がその向こうにあるのだし、「分かりやすさ」の限界はある。
ある種の陰謀論のように「分かりやすさ」をうまくプロデュースして人々を欺く発信者だっているだろう。
ともかく、数学や物理学の世界を堪能させてくれるルアープルさんに感謝。
これは私にも基礎知識のある「楽音」についての回。他のユーチューバーとコラボしている。でもやはり最後の方は…私には難しい。