9/18-19の週末は les Journées européennes du patrimoine だった。
この日は、普段公開されていない公共の建物や歴史建造物などが特別公開される。パリなら大統領官邸のならエリゼ宮やら市役所やら国会の建物などが人気だ。
このpatrimoineという言葉は、ユネスコの文化遺産という時の「遺産」というのと同じ言葉だ。
でも、patriというのはpater=父から来ているので、patrimoineも父権制の世襲財産と同じ意味になる。この公共文化財公開は1984年に始まった。
けれども、アングロサクソン・フェミニズムのポリコレ浸透で、2015年からは同じ週末にles Journées du Matrimoine, une ode à la créativité féminine et à ces artistes femmes trop vite oubliées de l'Histoire.というのが始まった。歴史から忘れられた女性アーティストの業績に光を当てるというものだ。
matriはもちろんmaterで「母親」。
そもそも les Journées européennes du patrimoine そのものを 「matri-patrimoine」として母と父の遺産になるよう言葉を足す場合もある。
でも、今公開される対象の文化財の95%は「男の作品」などとも言われている。それ自体は歴史的に見てそう不思議ではない。(そういう問題ではないと思うが。)
一方で、フランス語では「母国語」はlangue maternelle と言って「母の言葉」なのだけれど、それにpater を加えて langue pater-maternelles 「父母の言葉」にすべきだという運動は聞かない。
「母国」というフランス語自体は、「patrie」と「父の国」になっている。(もちろん生国「pay natal」という表現はあるが。)
日本語では「母国」でなければ「祖国」=祖先の国ということで文化的に納得がいく。過去の母系制とも関係がありそうだ。「母校」という表現も定着している。
「幼稚園」はドイツ語の「Kindergarten」の訳だったと思う。フランスにも「jardind’enfants 」という言葉はあるけれど、今は3歳から義務教育化した「école maternelle(母学校)」が一般的で、「école paternelle 」とは言わない。
いろいろなものが「父」で代表されるのは、「父と息子」の神を戴くキリスト教文化の影響であるのは明らかだし、日本の方が「母」寄りかなとも思うけれど、私の子供のころは、母親がどんなに多くてもPTAは「父兄会」と呼ばれていた。夫婦の姓が圧倒的に男系なのは相変わらずだ。
「母乳」はさすがに「牛乳」にはなっても「父母乳」にはならないし、助産婦や産婆に当たる言葉を両性で使えるようにする傾向は日本もフランスも同じだ。
うーん、そもそもフランス語には女性名詞と男性名詞があって、中性名詞はないし、LGBTQなどの人も、日本語のように話し言葉の語尾で男女差が現れるというものに比べて、自己表現の問題はさらに根深く困難かもしれない。
と、雑感の覚書。