私はフランス風ユニヴァーサリズムを支持していて、アングロサクソンのコミュニタリアニズムを批判する立場だ。性的マイノリティや女性や人種による差別などの解消は、アイデンティティのカテゴライズのパワーゲームで成し得るものではなく、普遍主義からアプローチするべきだと思う。それが理想論だとか偽善だとかいうのは容易いが、そのパースペクティヴなしには人はみな多かれ少なかれ、「生存適応」にかなったエゴイズムや家族主義やナショナリズムに陥るからだ。
2001年以来のアメリカが「テロリストとの闘い」と称して、アフガニスタンやイラクを力でねじ伏せた時に、ブレーキをかけようとしたフランスについて『アメリカにNOと言える国(文春新書)』(私のつけたタイトルは『犬の帝国と猫の共和国』だったのだが)で、ユニヴァーサリズムを説明して称揚した。『バロック音楽はなぜ癒すのか(音楽之友社)』、『聖女の条件(中央公論新社)』も同じで、ユニヴァーサリズム擁護の三部作だった。
それが、この20年でフランスはすっかり様変わりした。
新自由主義経済の申し子のようなマクロン大統領が登場したのはその象徴的な出来事だし、EUという虎の威を借りようとしたフランスは、EUのベースを作った普遍主義を捨てて、 着実に連邦主義に向かっている。
つまりEU諸国ををUSAの州のような連邦にしようとしているのだ。
でも、EUはもともと独自の文化(言語が違うのが分かりやすい指標だ)を持ちつつ、ギリシャ=ローマ、ユダヤ=キリスト教という共通の「ヨーロッパ文明」を持つ国々の「連合」であって「連邦」ではない。
ドイツやイタリアのようにもともと多数の公国のある領邦国家ではなく中央集権国家だったフランスは特に「連邦の一員」には向いていない。
ド・ゴールは、「ゆで卵を使ってオムレツは作れない」と言ったそうだ。
アメリカのような移民国家とは組成がまったく違う。
EUにアメリカ・モデルは不可能だということだ。
それを言えば、日本だって、島国文化の立派な「ゆで卵」であって、オムレツにはなれない。「アメリカの51番目の州」などと自虐している場合ではない。
今のフランスが、アメリカのグローバリゼーション・モデルに傾倒したことは、一昔前のフランスのインテリが共産主義モデルに傾倒したことに似ている。
サルトルらが毛沢東を称賛したような当時のことをレイモン・アロンは「知識人の阿片」だと称して論じた。
今のフランスのエリートたちのEU第一主義のことを「エリートたちの阿片」と称するのはアキリノ・モレルだ。
1968年には「フランスの左派は社会主義からヨーロッパ主義に切り替えるべきか、その反対か?」と問題を投げかけたミッテランは、大統領になると、規制緩和の盾となるとしてヨーロッパ主義を推し進めたが、それどころか結果的にグローバリゼーションに与する方向に舵を切ることになった。
「フランスを壊さずにヨーロッパを創る」という1950年代の意気込みと反対に、フランスは少しずつ脱構築され、ヨーロッパそのものも「民主主義」から程遠いエリートの集まりによる政策決定機関になってしまったというわけだ。
それを分析した大著『エリートの阿片』を出版したのが左派の官僚でオランド大統領のアドヴァイザーでもあったのアキリノ・モレルなのだけれど、大著すぎてとても読めない。医学博士でパリの政治学院やENAも出ている。
アキリノって珍しい名前だが、スペインのアストゥリアにルーツがあるという。(そういえばアストゥリアスというギター曲、もう何年も弾いていないけれど、懐かしい曲だ。)
彼と同じことを右派の論客が語るとこちらもバイアスをもって聞いてしまうが、左派のエリートであるこの人の言うことには説得力を感じるのでここにメモ。
