レミ・ブザンソン『LE MYSTÈRE HENRI PICK(アンリ・ピックの秘密)』ファブリス・ルキーニレミ・ブザンソン監督『LE MYSTÈREHENRI PICK(アンリ・ピックの秘密)』ファブリス・ルキーニ主演の2019年作品
ファブリス・ルキーニの出る映画には裏切られないので迷わず視聴した。 私の好みにぴったりくる。 小説の真の作者をめぐる謎解き、ミステリー映画で、最後の意外性にも満足したし、ラストショットに見える「原稿」の効果も生きている。 フランス人の3人にひとりは小説を書いているとか、フランスでは読者よりも著者の方が多いとか言われる文化ベースがあってこそ成り立つシチュエーションであるせいか、日本では公開されていないようだ。 ブルターニュの寒村に、出版社に持ち込んだけれど差し戻された原稿ばかりを集めた図書館があり、パリの出版社の女性編集者がそこで見つけたアンリ・ピックという署名のある原稿を出版して大ベストセラーになる。しかし著者のアンリ・ピックは2年前に死んでおり、本を読んでいるところすら家族が目にしたことのないピザ職人だった。 けれども、原稿を書いたと思われるタイプライターが発見され、店は大評判になる。
ルキーニが演じるのは、テレビで文学批評の番組を担当している有名な文芸評論家で、この本を書いたのは別人であると疑い、番組を降ろされる。 小説はプーシキンの妻への愛と決闘による死の受け入れを書いたもので、そのディティールに使われているファクトはフランス語に訳されていなかった。ますますピザ職人とは縁がない。 評論家は、この原稿が出版社に持ち込まれたこともないことも突き止めた。 ブルターニュに出かけて、アンリ・ピックの謎を解明しようとする。 未完原稿図書館の創始者は同性愛者だったが、ビザを必要としたシベリア生まれの女性と一時結婚していた。彼が実際の作者ではなかったのか。
アンリ・ピックの娘は莫大な印税を医学研究に寄付し、それを不満に思った夫に去られるが、学校教師でたくさんの蔵書を持つインテリ女性だ。隠れて小説を書いていたという父を信じていたが、評論家の推理に無理やり付き合わされるうちに、いつのまにか自分も真実を知りたくなる。 このルキーニとカミーユ・コタンの一見釣り合わないコンビが実にうまく機能している。 パリの出版界の裏舞台や、マーケティングについても考えさせられる映画だ。
原作の小説があるのだけれど、シチュエーションに現実味がない、盛り上がりがないという低評価も少なくない。けれどもある種の人々の琴線には確実に触れると思うし、私はその一人だ。 パリもブルターニュ(フィニステールの先)も土地勘があるし、フランス語もフランス文学も文芸批評も守備範囲だからぴったりだ。 怖くもなく、情動を揺さぶられることもなく、実に楽しい時間を過ごすことができた。 思えば、「感情移入できない」「退屈」などという観客評価が少なくないということ自体、今の映画のレシピには「暴力」や「エモーション」が必須の材料や調味料になっていることの表れだ。 暴力や残虐シーンはもちろんだけれど、さまざまなハラスメントや、どす黒い恨みや嫉妬の感情、あるいは単に、親や子や恋人を病死で失うなどの情動的なショックなど、何らかのホルモンが増えそうな「刺激」が、表に出ているか隠し味になっていて、それらがまったくない作品は「つまらない」となる。「過度」や「異常」や「恐怖」の仮想体験が現実を忘れさせるカタルシスになるというのは分かる。 でも、これはある意味でアディクションであり、映画や演劇をヒットさせるための戦略として、これらが組み込まれているのだ。 ここでも何度も書いたけれど、私はもうこれからの人生、「残虐シーン」「残酷シーン」「恐怖」が表に出てくる映画はできるだけ見たくない。私の「悪夢」の材料になるような戦争や戦闘シーンなどは、実際に体験も目撃もしていないのだから、「映画」の追体験でしかない。悪夢はもう嫌なので、そのもとになるものをこれ以上加えたくない。(私の母が実際の空襲体験のトラウマで長い間悪夢に悩まされていたのを思い出す。) 今回の文学作品をめぐる探偵もの映画、探偵小説の映画化なら「殺人事件」が出てくるけれど、血の流れない、暴力のない推理もの、しかもディティールや意外性も含めて十分楽しませてくれたということで、「添加物なし」の娯楽となった。 (喜劇、コメディなら、暴力シーンがないと思うだろうけれど、先日、その系統のフランス映画を観はじめた時、すぐに耐えられなくなって中断してしまった。会話は洒落てはいるけれど、シニックで、やはり人の弱みをチクチクとついてくる微量で微妙な添加物がばらまかれている。笑い飛ばしながら偽善や欺瞞や自尊心や嫉妬、羨望などを隠し味にすることで「人間性」に迫っているのかもしれないけれど、そういうのにも、もう、疲れる。)
by mariastella
| 2021-10-30 00:05
| 映画
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