11/11、10月に101歳で亡くなった第二次世界大戦のレジスタンスの最後の生存者の棺を墓所に納めるセレモニーで、マクロン大統領が涙を流した。
なんだか、パフォーマンスぼくって微妙だなあと思ったけれど、大統領選前で候補者が軒並みゴーリスト(ドゴール大統領の後継者)を自称することでナショナリズムをちらつかせている時節柄か、ドゴールと共に自由フランスを支えた最後の英雄のセレモニーだから、ほとんどだれも揶揄することはなかった。
マクロンはブリジット夫人が教師として指導する演劇部で活躍していたくらいだし、ここ一番という時に本当に感情移入したら涙くらい流せるのかもしれない。
ドゴール大統領は公衆の前で涙を流すようなキャラではない。
他の政治家では、マクロンの大統領就任の時に、内相となった側近のジェラール・コロンが涙を流していたのを思い出す。彼はマクロンより30歳も年長なのに、マクロンは「慈父」的に振舞うのがうまい。
確かに、このシーンで直立しているのが、マリーヌ・ルペンだとか、エリック・ゼムールだとか、メランションだとかだと想像すると、彼らと涙は似合わないし、見たくもない。マクロンはこういう時にはそれなりの役者となる。
日本だと、最近、自民党総裁選に菅首相が出馬しないと決まった時に小泉進次郎環境相がインタビューで涙を流したというのがあって、ビデオを見たことがある。
これには、えっ、こういう文脈で人前で涙を流すのかね、と驚いた。
彼はマクロンより4歳若いが、マクロンが大統領になった時は彼より若かった。
そういえば、日本で、兵庫県の県議員(当時47歳)が「号泣会見」をした、という動画も見たことがある。画像が世界中に拡散し保存されてしまうような今の時代、政治家と名のつく人が公共の場で「泣く」のは相当のリスク管理が必要だ。
それとも、AIがすべてを支配できる世界が来ると言われるようなご時世、とってもアナログな涙を流すことは「人間味」があるとされて、ハードルは意外に低くなっているのかもしれない。ジュピターだって、泣く。