よく猫は液体だなどと言われる。
容器に合わせた形になるからだ。
狭いところに入るのが好きで、体が柔らかいから丸くなるなどして隙間なくおさまる。
うちの玄関の暖房機の上には大小二つの箱が置いてある。
冬はそれが温かくなっているから猫たちはそこに入っていることが多い。
大柄なイズーが大きい方の箱に、やや小柄なナルが小さい方の箱に入ると思うが、そうでもない。
大柄なイズーが小さい箱に入っている時はこういう感じ。

なるほど、ほぼ隙間なく詰まっている。
でもナルが大きい箱に入ると、隙間が空く。
では、端っこの方に固まるかと言うとそうでもない。だからと言って、真ん中で丸くなることもない。で、一応、箱の四隅を制覇したというこんな感じ。
大きい箱のイズー
箱の限界を知ることで安心できるのか、テリトリー確保で安心できるのか。
人も、人生の中で与えられた「器」の中にどう納まるのだろうか、と思ってしまう。
「器」が「実力」より小さくても、ぎりぎりに密度高く生きるのか、「器」が自分の丈を超えていても、ポイントを押さえることで自分の自然体と「器」のバランスをとるのか。
「あの人は器が大きい」「小さい」、「度量が広い」「狭い」などという表現がある。自分の器を自分でいっぱいに満たせば、器が大きくても自分以外を受け入れるスペースがなく「狭量」になるかもしれないし、自分より大きめの器を身に着けていれば、いわゆる「伸びしろ」が期待できるかもしれない。
「大器晩成」という言葉もあるが、器がだんだんと大きくなるというより、生まれ持った大きな器を満たすのに時間がかかるということかもしれない。
器を変えていくこともできるのか、与えられた器の満たし方を変えることができるのか、猫を見るだけでいろいろ考える。