精神分析医で哲学者でもあるサビーヌ・プロコリスの書いたこの本は、フレンチ・フェミニズムがいかにアングロサクソン・フェミニズムにヘゲモニーを奪われてしまうかを分析するのに最高の本だと思う。
でも、購入していない。読んでいない本が多すぎて、購入するとそれで安心して考えるのをやめてしまう気がするからだ。
とりあえずは、ラモーについての著書を読んで以来、私が絶大の信頼を置いているカトリーヌ・キンツレールCatherine Kintzlerがこの本を評したブログをここに貼り付けておく。
この70年以上、日本は「欧米」というとアメリカを基準にして考えてきたけれど、「欧」と「米」は対極なほどに違う。特にフランス。ゲルマン人の大移動以前に遡るとまた別だろうが、フランスのような国は、民族的文化的言語的なマジョリティというものが存在して国を運営してきた。基本的に、マジョリティがマイノリティを取り込む形、同化する形で形成されてきた。
それに対して、アメリカでは17 世紀前半にやってきたマイノリティの「白人」が、マジョリティの先住民を力で制圧してできた国だ。そのトップに開拓精神を誇る健康な「白人の男」がいる。
その構造の中で、先住民や黒人奴隷や、開拓者のなかで少数であった女性が、「劣位」に位置付けられてきた。
一方、フランスのマジョリティの中で特権階級の男女関係にはさまざまなプロトコルが発展し、聖母マリア崇敬も影響して女性に聖性が付与された時代もある。19世紀のブルジョワ階級の出現と共に女性と家庭、育児などが固定されるまでは、庶民の女性も強かった。
日本も、大陸や南洋からの移民の時代は別として、やはり文化的マジョリティが定着した点ではフランス型だ。
マイノリティも「単一民族」と称して同化してきたのも似ている。
でも、言語や文化が多様で流動性の高いヨーロッパと違って島国だから、「よそ者」排除の共同体主義は根強い。
今の日本の若い女性の七割が「夫の収入」で暮らすことを望んでいるというような記事を目にしたことがある。
フェミニズムによる比較文化のアプローチは取り組む価値があるとあらためて思う。