これも覚書。
オギュスタン・ランディエの行動経済学は興味深いが、この最新作『われらの価値観の値段』は、「欧米価値」(道徳価値も含む)を守るために各国が実際に支出するにあたっての違いを米、独、仏などで分析したものらしい。私が知りたい比較文化的視点で書かれている。(フランスは、普遍的なモラルの価値観を掲げるのは得意だが、それを予算化するのはケチる傾向。価値観の表明の中にすでに論理と予算の計算を組み込む国もある)
たとえば、先進国の市民や政党に「地球を汚染してもいいか」と尋ねるとほぼ全員がノーと答える。
では、「地球を汚染しないためにいくらの予算をつぎ込むか」ということになると、答えはまったく別だ。
本のタイトルは日本語に直訳すると『われらの価値観の値段』で、漢字による翻訳の難しさを感じる。
「価値の値段」というと、前者にも、もう「数字的な多寡、軽量」の意味合いが出てくる。
valeurs(ヴァリュー) とprix(プライス)では語源も違うし、本のタイトルでは前者が複数になっている。valeur には信念、信条とするさまざまなもの、大切なもの、例えば正義とか平和とか自由なども入ってくる。数字として評価できない価値も含むのだ。
一方で、prixプライスの方は、あるものを手に入れるための対価だ。
今のエコロジー主義とか、基本的人権やら民主主義やらの多くのものは「欧米的価値観」から伝播して国連などで承認を受けたものとなっている。でも、それらに価値を認めることにはみな同意しても、その実現や擁護のために実際にどういう手段でどういう資金を投入するかとなると、そこに「現実」の壁があり、「建前」と「本音」の乖離が見えてくる。
税金の使い道とも関係する。「文化遺産」に大きな価値を認める国なら国立の劇場やミュージアムや―などに大きな予算をあてるだろう。
日本でよく「欧米」とくくられているものの中身を独仏米などの間で比較分析するのは興味深い。
実は、ものすごく個人レベルでも考えさせられる。
マダガスカルの飢饉、アフガニスタンやウクライナやアルメニアやパレスチナの危機、その他多くの惨状を訴えるダイレクトメールを受け取って「これは何とかしなくては、貧者の一灯でもないよりましでは」と思っても、実際に救援団体にあてて小切手を切るのはなかなか億劫だ。たまにそうする時でも、その額について「減税額」と照らし合わせながら迷う。高邁な「価値観」を掲げるのは容易いし、多くの人の共感も得られる。でも、どんなに小規模でも、それを「経済活動」に落とし込むとき、隠れていた別の「価値観」が顔を出す。
私にとっては、対価のないサービスを提供することや、「親切」をすることのハードルはそんなに高くない。その上に満足感さえ得られる。
でも、「金を払ってそれをする、してもらう」という局面では、いろいろな計算が働く。
うーん、この本はやはり「金を払って」手に入れて読むしかないかも。
(そうこう言っているうちに、年末の「寄付」の機会を逃してしまった。税務署から、去年と同じ寄付をしていると仮定しての減税分の払い戻しの知らせが来た。証明書を出さなければ秋にはそれが自動徴収される。確かに、どこに何をどのくらい寄付しようかと考えること自体が億劫なので、毎年の寄付の自動振り込みを設定しておくべきなのかもしれない)