友人からの賀状にこんな短歌が引用されていてどきっとした。
星もなく
赤き弦月たゞひとり
窓を落ち行くは
たゞごとにあらず
驚いてメールを送ったら、昨年の体調がよくなかったようだ。
この歌は宮沢賢治のもので、彼が若いころ、発疹チフスなどで入院していた時の歌だそうだ。「赤い月」シリーズで、そこには
ちばしれる
ゆみはりの月
わが窓に
まよなかきたりて口をゆがむる
というのもある。
病院の窓から空を眺めれば、現実から逃れて解放感を持つこともあると思うのに何という不気味さだろう。
ネットで検索したら、この内よりも前、16歳の頃に、夕陽の不気味さも歌っている。
西ぞらの黄金(きん)の一つめ
うらめしく
われをながめて
つとしづむなり
「星」という友もない空に紅暗く現れる半月、西空の夕陽も赤いだろう。
私には夕陽というと「夕焼け小焼け」の日繰りのノスタルジーはあっても、次の日に反対側からきっと現れてくれる明日のイメージも重なる。
「うらめしくながめるひとつ目」など衝撃的だ。
確かに肉眼で見えるのは沈みかけた夕陽くらいだから、朝日のまぶしさなど直接目にしない。
動く星座や回る惑星と違って、大きく堂々と見える太陽や月の孤独を「ひとつ目」などと受け止めたこの歌を知った後では、次に半月やら夕陽を見る時になんだか畏怖の念にかられそうだ。