ジャン=フィリップ・ファーブルという神学者(この人は、理系バカロレアを経てビジネススクールのESSECを卒業してから神学を学んで司祭になったという経歴の持ち主)が『アレクサンドリアの獅子』という小説を書いた。一番古い福音書作家であるマルコをモデルにしたものだ。
これを読むと、今まで気づかなかったことがたくさんあるのが分かる。
まず、イエスが最後の夜を過ごしたゲツセマネの園というのはマルコの母の所有していた場所だそうだ。イエスの一行はそこを自由に使えていたようだ。
だからマルコはエルサレム出身で、少年時代にイエスと会っていたと思われ、明け方イエスが逮捕された時に、あわてて布一枚を体に巻き付つて降りて行ったけれど、恐れをなして逃げてしまった。この話はマルコの福音書にだけ書かれている(14,51-52)。
確かに、他の弟子たちはもう逃げたのだから、本人にしか書けなかったのかも。
(これはイエスに愛された弟子ヨハネだという説をよく見かけてきたが、ヨハネについては確定できないことが多すぎる。)
後にヘロデ王によって投獄されたペトロがエルサレムに戻ってきた時、ペトロはすでにキリスト者の共同体の基地になっていたマルコの母の家に戻った。
「ペトロは、マルコと呼ばれていたヨハネの母マリアの家に行った。そこには、大勢の人が集まって祈っていた。彼が門の戸を叩くと、ロデと言う召し使いの女が取り次ぎに出て来た。(使徒言行録12, 12-13)」と、大きな家で召使もいるのが分かる。
「マルコの父」は言及されていないので、母が裕福な未亡人だったらしく、マルコはペトロの息子のような存在になる。マルコによる福音書は初期には『ペトロの回想』と呼ばれていたもので、ローマでペトロの秘書となって書き留めたものだ。そのマルコがなぜ「アレクサンドリアの獅子」なのかはまた別の話だ。
一流の神学者が書いているものだから、なるほどと思うこと連続だ。
いろいろな意味でインスパイアされた。