ミッシェル・ヴィオーというカトリック司祭のブログを時々読むことがある。
この人のような経歴の持ち主の思考方法に興味があるからだ。
彼の父は学校教師でカトリックの小説家、社会主義者でフリー・メイスン、母はクラシック・バレリーナだ。
1944 年生まれのミッシェル・ヴィオーは2人の姉妹と同様に生後間もなくカトリックの洗礼を受けた。ミサに出たりすることはなかったが、10歳でルルドに行き、マリア崇敬を見て、カテキズム(要理)のクラスに通うようになった。その後、アルザスのルター派プロテスタントと出会い、プロテスタントに改宗する。その後神学校で神学とエキュメニズム(教会一致促進)を専攻し、1968年にプロテスタントの牧師となり、すぐ後で有神論系フリーメイスンのイニシエーションを受ける。プロテスタントとフリーメイスンは共存できるとして、1975-76年にはジェームス-アンダーソン・ロッジのトップとなった。イエズス会のミッシェル・リケと知り合い、フリーメイスンとの対話にかかわっていたダニル・ぺゼリル司教と出会って影響を受けた。
1996年にはフランスのルター派福音協会のパリ司教に当たる地位に選ばれ、ルター派とカトリックの接近に努力する。ルルドで得た聖母崇敬は変わらず、永遠の処女性(妊娠しても出産しても処女のまま)や被昇天の教義に賛同し、リベラルなプロテスタントが三位一体を信じないことなどへの不満を公にするようになった。
1997年にヨハネ=パウロ二世に紹介され、教皇から、カトリックとプロテスタントの共同声明への期待を告げられる。(1999に実現)
2000年には、グラン・メートル補佐の地位にまで上り詰めていたフリーメイスンを去る。
2001年には未洗礼者にも聖体をさずけるプロテスタントを正式に批判し、教皇との距離を埋めるためもあってカトリックのカテキズムを受けてカトリックに改宗して認められた。56歳だ。
1517年の宗教改革以来最初にカトリック信徒となったプロテスタントの司教になったわけだ。
その後、2003年に助祭となり、続いて、司祭叙階を受けた。
以後、受刑者、軍隊退役者、葬儀、グレゴリオ聖歌にゴスペルなど、いろいろなセクションを担当しスポークスマンとなり、各種メディアで定期的に発言している。
今のエキュメニズムでは、カトリックや正教やプロテスタントだけでなく広く他の一神教や他の宗教との和解や協働も視野に入れられているのだけれども、ヴィオー師はイスラム・ラディカリズムに対する警報をずっと発していたので、今はカトリック右派に取り込まれる傾向もある。
今の時代、彼の経歴、さまざまな出会いの後での発言の変化などをネット上でかなり詳しく追うことができるので、このユニークな人が、どのように変化し、どのように利用されてきたのかを含めて考えることは、知的ゲームとしても興味をそそられる。