3/1、久しぶりにパリ外国宣教会の講演に参加した。
9/21にセミナーが再開されて参加して以来、いつも夕方のレッスンと重なったので行けなかったが、今は冬休みなので参加を楽しみにしていた。だが、少し毛色の変わったテーマ。こういうものだ。

国立自然科学博物館にある哺乳類剥製の収蔵においてフェリックス・ビエ大司教が果たした役割、というのが演題。
ビエのリノピテクス (Rhinopithèque de Biet)という学名がつけられたものもある。日本語ではシシバナザル族の一種らしい。
チベットの珍獣?というと「雪男」を連想してしまうが、ヨーロッパには野生の猿がいなかったから、サルそのものがいつも好奇心と魅惑の対象だったようだ。
チベットのようなところでは、宣教師、探検家、博物学者たちが協働して彼らにとっての新種の植物や動物を分類しては博物学のテリトリーを充実させていった。
ビエ大司教も根っからの自然科学者だったようだ。彼の3人のきょうだいもみなパリ外宣からビルマや満州に派遣されている。当時のパリ外宣は、アジアを中心とした未知の世界を見てみたい、という若者たちの熱気があふれていたのだろう。カトリックだから妻子を持つわけでもなく、一生を好きな研究に捧げたいというタイプの人が、修道会のインフラを使って散らばっていったわけだ。
彼がチベットについたのは1865年、27歳の時で、到着してすぐにラマに襲われたそうだ。鳥や蝶々にも彼の名を冠した学名が複数あり、猫にもあるそうだ。
講演者は博物学者のセシル・カル―さん。
会場へのアクセスには、白い花が木と芝生の両方に咲いていて可愛い感じだった。


もともと好奇心が強くて新しい世界を見たい人がパリ外宣に志願するのかと思ったけれど、異文化の中で暮らすのに耐えられるように、自然科学が好きな人を先行してチベットのような奥地に派遣したという。フランスで見られる猿の剥製などは、毛皮とほ骨が別々に送られてきたのをパリで組み立てたのだそうだ。チベットの宣教は1854年から1937年まで続き、1891年から1911年まで2919種の植物、9569種の昆虫、1332種の鳥、592種の動物の標本がフランスに送られた。魚でも、ミイラ化したり、乾燥させたり、色々な方法があるのだがこれらの技術をあらかじめフランスで学んで行ったのかは確認されていない。
今では絶滅種や絶滅危惧種もあるので、中国から返還を求められているかといえば反対で、感謝されていて、今は仏中の共同研究が続いているという。
探検家との関係は、1889年にオルレアン公アンリが衰弱して到着した時に宣教師が保護したことで、関係が深まり、フランスへの発送もオルレアン公が後ろ盾だったのだそうだ。そういえば、「キャビネ・ド・キュリオジテ」の伝統を見ても、貴族やブルジョワが世界中の珍しいものを蒐集展示するのはフランス文化の伝統にもかなっているのかも。
最初は薬草園でその後王の庭と呼ばれていた場所が、革命後に自然史博物館となったわけだが、ロンドンやワシントン(スミニアソン)の博物館よりも、植物標本では世界一なのだとか。
日本のサレジオ会を開いたチマッティ神父の記念館にある多くの標本を思い出した。
遠い異国に骨を埋める覚悟でやってくる宣教師、修道士には、国境などなくて、神の被造物の多様さに驚嘆したいという想いがあるのかもしれない。
以前の講演の記事いくつか