ローマ時代には、ギリシャ彫刻の模刻や修復、復元が盛んに行われた。
純粋のギリシャ彫刻で無傷のものはまずないだろう。部分が欠けていることで別の独特の存在感を放つものがあり、それは顔のないサモトラケのニケもそうだ。
でも、しっかり、別の彫刻から頭を持ってきて繋いだりすることは普通に行われていたし、ローマ彫刻をそうやって復元、再構成することも中世、ルネサンス、近代にかけてなされてきた。
これは2世紀ごろのアレキサンダー大王の像となっているけれど、元の部分がどれで何だったのか定かではない。

これは、ローマが1世紀ごろに征服した国の王のものを18世紀のカトリック高官が修復したもの。

下の2人は「奴隷」像で、ハドリアヌス帝が今のルーマニアに侵攻して連れてきた奴隷。それを17世紀にベルニーニの父が修復したものだという。でも、頭部も腕や手も後付けらしい。



それにしても、いわゆる「奴隷」の語感と違って堂々としているので、要人の像だと言われれば信じてしまう。ギリシャ・ローマ彫刻全体として、思うのは、神でも、王でも奴隷でも、皆体格が良くて堂々としていることだ。これらの体型は古代の人のスタンダードだったのだろうか。それとも、彼らにとっても「理想の体型」だったのだろうか。昔は、ギリシャ・ローマ彫刻やその延長の西洋具象彫刻とはこんなものだとしか思っていなかったけれど、2千年経っても、「健康的で理想の体型」に見えるのって、時代錯誤なのだろうか。あるいは、古代の方が生存条件が厳しいから適者生存で立派な体だけが残ったのか。
日本でも、縄文人は体格が良くて弥生人になって「貧弱」になったとかいう俗説があるし、逆に平均身長などは栄養状態が良くなるとどんどん伸びるというのもある。
それにしても、美の基準があまり変化していないように見えるのは不思議だ。特に日本では、引き目かぎ鼻だとか、21世紀の基準とはずいぶん遠いところにあった。
ステンドグラスのような神秘的な感じとは程遠いけれど、青空から陽の射す気持ちのよい日だった。

(続く」