ついさっき、フランスの議会でのゼレンスキー演説を視聴したところだ。
日本での演説についての記事を少し読んだが、「制裁に加わってくれたアジアで唯一の国」という持ち上げ方をしていたとあった。なかなかうまい。
で、フランスでは、これまでの経緯から、多分、ドゴールを持ち出したり、レジスタンスを持ち出したりするだろうと予想されていたのだけれど、外れた。
歴史で持ち出したのは第一次世界大戦のヴェルダンの戦いで、独仏軍とも最大の犠牲者を出した最悪の戦場の悲惨さを喚起した。
その前に、マリウポリの産院爆撃を持ち出して、生まれかかっていた子供を失って絶望した母親を皆が必死で助けようとしたが、彼女は自分も「死なせてくれ」と叫びながら死んでいったことを語り、黙祷を提案した。同時通訳の女性が時々声を詰まらせていたように聞こえることもあって、思わず涙が出そうになる。
フランス共和国の標語である「自由、平等、同胞愛」を何度も繰り返し、ロシアの侵攻がその一つ一つを蹂躙していることを強調した。そのうえで、フランスのルノーの工場など、まだロシアで生産を続けているブランドを上げて、「(自由・平等・同胞愛などの)価値は(商業的)利益に優先する」、と言った。
この辺りも、うまいところを突いている。
最後に、ドゴールではなくて彼が名を挙げたフランス人はジャン=ポール・ベルモンドだった。これも、ゼレンスキーが役者であったことを考えると、意外性も含めて巧い選択だったと思う。
ゼレンスキーほど、この危機に当たってコメディアン出身という出自を最大限に活かした例はないだろう。演劇部にいたマクロンも、限界はあったが、その雄弁を大いに活用してきた。こうして見ると、国の「顔」にはコミュニケーション能力が一番必要かもしれないなどと思う。
(プーチンも「一対一」では「人たらし」で謙虚で気さくで好感を得る術に長けていることを皆が認めているけれど、「元首」としてふるまう時には強面で冷酷というイメージが先行する。だからこそ、対面した時の「落差」に篭絡される人もいるわけだ。)
ともかく、フランスにいれば、ウクライナ戦争が他人ごとではないのは確かだ。
フランスは「原発大国」だから、ロシアのガスへの依存度が低い、などと安心している場合ではなく、原発を攻撃された場合に備えて、甲状腺を守るため全国民に配るヨード剤が準備できた、などと政府が言っている。
フランスでは、コルシカの知事を背後から撃って殺した罪で終身刑だった独立運動のリーダーが刑務所内のジム施設の中でイスラミストに攻撃されて以来、コルシカで暴動が起きていた。その映像はどこの戦争ですか、という激しさだった。(イヴァン・コロナはその後死亡した。政府はコルシカの自治を認めるとか、共犯の2人をコルシカの刑務所に移送するなどと言い出している。)
ウクライナ、コルシカ、物価上昇、オミクロン変異型の感染増大、そして目前に迫った大統領選、これらがそろった状況が混迷しているのは当然だ。政策の最前線にいるわけではない個人は、何をどういう角度からどういう順番で見ていくかということを冷静に考えていきたい。
それにしても、今回の、異なった歴史や異なった利害を持つ異なった議会民主制の国々の議会に向けた、一国の大統領による前例のないライブは、国際関係についての考察を深める機会になった。
「戦争を知らない」まま育ってくることができた世代の人々には「恒久平和」の夢を終わらせない義務がある、とあらためて思う。