3/25は聖母マリアのもとに天使が現れて聖霊によって身籠ったと告げられたという祝日だ。イエスの誕生日(おそらく春)を、太陽神系の冬至(太陽が再生する日)の祭りに置き換えることにしたキリスト教が、そこから9ヶ月遡って設定した日だから、歴史的根拠はもちろんないけれど、キリスト教世界の集団意識の中には強く根付いている。
で、この日に、全人類と特にロシアとウクライナを聖母の聖心(日本語では「汚れなきみ心」)に奉献するとローマ教皇が発表して、世界中の司教に呼び掛けた。日本の東京大司教区のサイトにもこういう知らせが載っていた。
第一次大戦時のファティマでの聖母ご出現に依拠している。
ファティマの御出現は「第三の秘密」というオカルト案件で日本でも一部有名だったようだが、突っ込みどころはいろいろある。
ロシアにもウクライナにも頼まれてないのに勝手に「奉献する」って何?
「奉献する」って言葉だけで、何かが変わるとでも?
確かヨハネ=パウロ二世(ファティマの聖母のファンだった)もすべての人々と、特にロシアをもうファティマの聖母に奉献したよね、前の奉献はもう期限切れなの?
そもそも奉献って何?
聖母崇敬の強いロシアの教会もウクライナの教会も、それぞれ必死に祈っているんじゃないの?
etc....
フランシスコ教皇は今回、例外的に自分からヴァティカンの大使館に赴いたり、ゼレンスキー大統領に対しても戦禍をこれ以上拡大しないように何とか落としどころをつくってほしいと頼んできたりしている。「人事を尽くして天命を待つ」という意味では、今日の「奉献」による戦争の終結の願いは理にかなっているともいえる。
私の祖母の思い出話を思い出す。
1923年の関東大震災の日、祖母は道に転がり出たが、道端ではほとんどすべての人が跪いてひたすら祈っていたのだそうだ。南無阿弥陀仏だったり、南無妙法蓮華だったり、般若心経だったり、「アーメン」だったり、ご先祖様や氏神さまにだったり、ありとあらゆる祈りが聞こえてきたのが一番印象的だったと言っていた。
万策尽きた時や、なすすべが全くない時、神仏に恃むというのは、自然な心理のようで、だからこそ、人は「神仏」やその頼み方を文化のベースにおいて出発したのだろう。
以前に書いたことがあるが、ある尼僧が加わっている超宗教的祈りのグループがあって、イスラエルやパレスティナ、イラクやイランの争いの元となっている政治指導者の「回心」「改心」を定期的に祈っていた。けれども、祈りの対象になっている相手の方にアンテナが立っていないと全く届かない。
幽霊でもそうで、どんなに怨みをもって死んでも、呪いたい相手に全く罪悪感がなく呪いを恐れていない場合は何もできない。逆に「あなたを守る」と言われていても、守られる側がそれを望んで恃んでいない限り、なかなかうまくコネクトできない。
だから、ファティマの聖母にいくら祈っても、たとえばプーチンにその感受性がなければ効果がないことになる。
それでも、ローマ・カトリックは共通の首長を頂く世界最大宗教だから、教皇が声をかければ、はるか彼方の日本も応えるわけだ。時差があるから祈りの集団エネルギーとはずれこむわけだけれど。
何にしても、世界のどこでも市井の人が第一に望んでいるのは、それぞれが一日を安心して過ごせる衣食住だ。「平和」が取り戻せるなら、聖母の取次による「奇跡」が起こるのは大歓迎だし、「そんな奇跡に希望を託す人たち」に希望を託す思いだ。
(おまけ)
下のブログ(3まであります)。ああ、この頃は「イスラム国」という「共通の敵」があったから「キリスト教」界も「平和」を標榜できたんだなあ、と複雑な気分。