最近arteで試聴した「アメリカにおけるアジア系移民の歴史」ドキュメンタリー、全5
回。(1/5をリンクしておく。来年2月末まで無料視聴可能。私はフランス語のナレーションと字幕で観たけれど、arteだからドイツ語はもちろん英語版もあると思う。いやオリジナルが英語版なのかもしれない。英語OKな人はぜひ検索してどうぞ。)
中国人や日本人だけでなくフィリピン人やインド人の家族史も紹介されるし、マッカーサーの赤狩りや公民権闘争との関連も具体的に分かった。日系人や日本人については、これまでの多少の知識を裏書きするものでもあったけれど、なんだかショックだ。WASPに根強かった差別体質が分かりやす過ぎる。アメリカの日本人や日系アメリカ人の歴史について私の「知識」のベースは山崎豊子の『二つの祖国』と有吉佐和子の『非色』なのだけれど、本当によく取材で来ているとあらためて感心する。
今は、米国在住の同世代の日本人女性のブログなども読んでいるから、時代の流れはもちろん意識している。アメリカに住んだことはないけれど、親戚も住んでいるし交流もあるし、高校生をホームステイさせたこともある。多少の滞在中に驚いたこともあり、それを雑誌に書いたこともある。そんな中でなんとなく蓄積されてきた「偏見」が、このドキュメンタリーを視聴して霧消したり修正されたりしたのではなく、むしろ強化された気分だ。
「アメリカに住めば愛国的な良きアメリカ人になれ」というのは、やはり移民の国だからだなあと思う。フランスのユニヴァーサリズムもずいぶんすたれてきたけれど、「フランス人になる」のは少なくとも「愛国」とは関係がない。フランス嫌いの偽悪的フランス人なんていくらでもいる。
近頃のBLM運動やアファーマティヴアクションにも違和感があった。
このドキュメンタリーで「勤勉なアジア人」が自助自力で「成功」した事例が、アメリカには差別がない、誰でも努力すれば成功するというプロパガンダに利用されて黒人差別を隠蔽してきたという「アメリカンドリームの欺瞞」も紹介されていた。
翻って、日本とフランスがどこか似ていて惹かれ合っているような不思議な歴史をあらためて確認してしまう。四捨五入するともう半世紀フランスに暮らしているが、その感覚が裏切られたことがない。もちろん私が日本でもフランスでも「都会」生活者で、生活に困ったことがなく、インテリ枠アーティスト枠であることは事実だけれど、この国には根っこのところに、ちょっとねじれているものの生来の無邪気さがあるのはかなり一般的だと思っている。
これを言語化するのはなかなか難しい。日本とフランスが私にとって「二つの祖国」でなくて、「ひとつの祖国」になっているからかもしれない。
このドキュメンタリーを視聴してのもう一つの驚きは、1968年頃からフランスでも日本でもカリフォルニアでも繰り広げられた「学生運動」の背景がこれほどまでに違っていたことだ。なんとなく「ベトナム戦争反対」の共通項があると思っていたけれど、アメリカの大学での最大の要求はエスニック・スタディの開設だったという。
「アメリカ人」だと思って育ってきた二世や三世が、差別の実態に直面し、自分たちのルーツを知る権利を求めた。フランスでは逆立ちしてもあり得ない要求だ。
アメリカではそれからもそういう「共同体主義」がむしろ強化してウォーキズムに結晶している。
日本の大学の「学生運動」のテーマの第一は、大学の自治を守り「産学共同」を阻止したいというものだった。(今は国立大学も法人化して企業との連携など普通というか、絶対必要なファクターになっている)
フランスでは政府に対する抗議で各種組合や普通の市民たちもそれを応援してゼネストに入って五月革命となった。
日仏の違いも、アメリカを支点としてはっきりと見えてくるものがある。