4/18付のフィガロ紙で、大統領選の第一回投票で極左のジャン=リュック・メランションが前回よりも票をのばして、決選投票に手をかけそうになったことの理由を解説する弁護士Gilles-William Goldnadeの記事を読んで、今まで考えていなかったことに気づいた。
ルペン女史の国民連合は国民戦線の頃からイメージチェンジしてソフトになったが「極右」のレッテルはついて回り、今回はゼムールという「極右」も出てきた。
それに対して、左派は、社会党や緑の党が沈没し、久しぶりに候補を立てた共産党もふるわなかった。その中で「極左」に位置するメランションが健闘したというわけだが、どういうわけか、メランションには「極左」という形容が少ない。
「左派の左派」とか「ラディカル左派」と呼ばれることの方が多い。
そう言われてみれば確かにそうだ。
その理由は、ずばり、第二次大戦後の国際社会は「ヒトラー」と「ファシズム」は弾劾して裁きにかけて「有罪」としたが、「スターリン」や「共産主義」を裁いたことはなかったというのだ。
確かに。
スターリンが死んだのは1953年だ。
「連合国」が勝利して国連ができて、安保常任理事国が決まった時、そこにいたのはスターリンだった。「ヒトラー」と「ファシズム」という「悪魔」を「征伐」する側に、ソ連はいたのだ。ナチスドイツとの戦いで最も多くの死者を出したのもソ連軍だった。
もちろんスターリン主義は後に批判されたり修正されたりしたけれど、それはソ連内部のことだった。
特に、アメリカではマッカーシズムの「赤狩り」や日本の「レッドパージ」などがあったけれど、「フランス革命」をアイデンティティとするフランスでは、共産主義は知識人を含む一定の支持層を有していた(毛沢東への傾倒もあった)。
東西の冷戦はあったものの、冷戦は「西側」陣営が戦争に勝って終わったわけではない。ソ連側の経済が成り立たなくなって内側から崩壊して、なしくずしに終わった。だからそこに「戦争裁判」もなく「戦犯」もなかった。
「ヒトラー」と「ファシズム」に勝った英雄でもあるスターリンが「西側」から国際的に「罰せられた」わけではない。「共産主義」が「悪」だと決められたわけでもない。(実際、共産主義とスターリニズムは別物だ。) 社会主義国家の連邦としてのソ連は消滅したけれど、共産主義やスターリニズムが「贖罪」を求められたわけではない。
「悪」のシンボルはいつも「ファシズム」「ナチズム」「ヒトラー」という「極右」だった。「極左」はたとえ暴力革命でも「義」を持ちうるし、「極左」の看板を掲げた全体主義は時と場合に応じて見逃される。
それを思うと、ソ連を体現していた「ロシア」がそのまま「連合国」の「正義」の仲間で、国連の安保理事会の常任理事国のままである理由が分かる。
「ロシア」の「特別軍事作戦」が「ネオナチとの戦い」という看板を掲げる理由もわかる。「プーチンの正義」は、第二次世界大戦の歴史とその後の「冷戦」の「戦後処理」の不在の上に成り立っているわけだ。
極右も極左もポピュリズム、などと「エリート」たちがまとめて見下している場合ではない。