フランスのカトリック教会の中に、ミサの古式典礼を維持するサン・ピエールきょうだい会というグループがある。改革についていけない古い世代というわけではなく、若手の司祭もいる。その司祭の母親たち5人がパリからローマまでの徒歩巡礼を企画した。
1日20-25キロ歩き、修道院や個人の家に泊りながら、3/5 に出発、4/29にローマに着いて教皇に面会し、2000通もの手紙を渡したそうだ。
途中で加わった人を加えると20人がローマに着いた。
年齢はみな60代だそうだ。リタイアして時間に余裕があり体力も維持している年代なのだろう。5人は顔見知りではなくこの巡礼で初めて知り合った。
こんなハードなウォーキング、私にはとても無理だと思ったが、一応、車が同行していて、彼女らの荷物や各種の薬などもそろえて準備したものを運んでいたというから、苛酷な行軍というほどではないのかもしれないけれど、やはり大変な行動力だ。
聖職を志願し、しかも古式典礼にこだわるような息子の母親だから、もともと敬虔なカトリック家庭なのだろうか。
カトリックのような上意下達のヒエラルキー構造のある宗派で、規範と違う生き方をするにはやはりトップのローマ教皇から例外の許可を得ることにこだわるのは分かる。
「マジョリティと違う生き方」とか、何が正しくて何が間違っているとか、いろいろな確執や争いや迫害には様々なレベルがあるとあらためて思う。
私が実際に見聞した歴史だけ見ても、振り返ると、「冷戦」が終わった時点で、フランシス・フクヤマが「歴史の終わり」などと言い出したことがあった。民主主義と自由経済が最終的に勝利したので、社会の平和と自由と安定が無期限に続く、民主政治が政治の最終形態でもう戦争もクーデターもないという話だった。
ところがそれはすぐにハンティントンの「文明の衝突」に置き換わった。冷戦下で隠れていたイスラム教文化圏と「西洋文化」が衝突し始めたのだ。「民主主義」や自由経済が「優れている」からこそどっと移民が入ってきたはずなのに、イスラム過激派は移民先の「西洋」で教条主義的な共同体を作って「聖戦」を語るようになった。
けれども、ではイスラム教文化圏の国同士なら仲が良いかというと、イスラム教の中でもシーア派とスンニー派が戦争を繰り広げている。
要するに、政治形態や経済や「文明」が問題なのではなくて、結局はアイデンティティーの問題に行きつくわけだ。
WASPの理想が掲げられたアメリカでも、中南米からの移民が社会を大きく変質させつつある。
ローマ・カトリック内でのミサの司式という外からはとても本質的には見えない問題でも、内部にとっては深刻な問題であり、人生を司祭職に捧げた息子がそのことに悩む姿を見る母親たちに1400kmの道を歩く決心をさせるのだ。
偏狭なナショナリズムのもとになったり、マイノリティ差別につながったりするアイデンティティから解放される生き方を皆が模索する必要がある。