モルターラ事件
(昨日の記事の続きです)
「反ユダヤ主義の歴史」のドキュメンタリーで印象に残ったのはイタリアのモルターラ事件のことだった。耳にしたことはあるがはじめて緊急洗礼の功罪について考えさせられた。 日本のネットにも載っていたので概要はまずこれを。 英語版では長大なので、この事件がいかに国際的なスキャンダルだったことが分かるだろう。 当時教皇領だったボローニャのユダヤ人家庭でで1歳の子供が重い病気にかかったのを見て、カトリック教徒の女中は、この子が洗礼を受けないまま死ねば地獄に堕ちてしまうと心配して緊急洗礼を授けた。 瀕死の人には、キリスト教徒ならだれでも水を頭にかけながら「父と子と精霊の名によって洗礼をさずけます」と言えば「有効」になるからだ。(それは今も変わっていない。生還できた場合は正式の洗礼を受けなおすのが基本だ。昔女性週刊誌か何かで読んだので信憑性はないけれど、日本で皇妃となった人の母が臨終にあたって緊急洗礼を受けたという記事を覚えている。娘の立場を思いやって死の時まで洗礼を延ばしていたという話だった。) 結局その子は助かり、6歳10ヶ月になって弟や妹もできていた。(上にも兄や姉たちがいる。) ところが、件の女中が、6年近くたった後でこのことを「告解」で司祭に告げた。洗礼を受けた子供がユダヤ人家庭に残るのは「異端」として断罪される重大なことだったので、司祭は司教に告げ、審問官が女中を呼び出した。 ピウス九世の許可を得て、その子は家族から引き離されて「改宗」ユダヤ人やムスリムのための施設に引き取られることになった。 1858/6/23の夜10時に教皇庁警察などがモルターラ家を訪れ、子供を強制的に連れ去る理由を3時間かけて説得したが、親は必死に抗議し母親は気絶したという。 その後、いろいろな展開があるのだけれど、この子は再洗礼を受け、ピオという名をもらい、カトリック司祭になって90歳近くまで長生きした。 17歳で家族と再会し、家族全員が洗礼を受けることを望んだけれどかなわず、母親の死に立ち会ったけれど「緊急洗礼」も授けていない。 この「誘拐」をカトリック教会がまるで「魂を救うことができた恵み」のように語ったため、英米独仏の知識人たちが一斉に抗議の声を上げた。ユダヤ人はもちろん、カトリックもプロテスタントも無神論者までが非難して、「誘拐」を命じた者は裁判にもかけられたけれど、結局無罪となった。 この事件は、ドレフュス事件のような冤罪事件ではない。 教会が子供を拉致するなどもちろん論外だし、家族の悲痛が癒されることはないだろうが、なんというか、みんながそれぞれの「善意」で行動したという面はある。 赤ん坊を地獄に墜としたくない、魂を救いたい、と緊急洗礼を授けた女中は当時のカトリック信徒としての「善意」で動いたのだろうし、カトリック教会は、知らぬ間にキリスト教徒となっていた子供を「異端」として処罰などしたくなかった。 数奇な運命に翻弄されたピオ神父だが、司祭としての生涯を全うしたのだから、「神のみ旨」を信じ、家族のためにも祈り続けたことだろう。 まったく別の文脈だけれど、先日95歳で亡くなったある日本人神父のエピソードを思い出した。 地方の平均的な日本の家庭出身で、お寺にあずけられたこともあるやんちゃな少年が、ひょんなことからカトリック司祭への道を歩むことになった。普通なら長男として「ご先祖さま」やお墓を守る義務もあったろう。両親に反対されても不思議ではない。ところが、彼の叙階の前に、両親が2人ともカトリックの洗礼を受けたと知らされた。理由はシンプルで、「息子がカトリックの司祭になるというのに両親が仏教徒では肩身が狭かろう」と思ったからだという。 特定宗教への帰属感が少ない日本とはいえ、「世間の目」や「親族の目」もあるだろうに、息子の肩身の狭さを想像して改宗してしまう「親心」があったわけだ。 そんなある意味で平和な日本とは違い、ユダヤ、キリスト教、イスラム教という同根の宗教が人種や覇権に関わる複雑な事情を通じて教条主義や不寛容の歴史を紡いできた世界のトラウマをあらためて思う。
by mariastella
| 2022-05-23 00:05
| 宗教
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