列聖されたシャルル・ド・フーコーの話の続きだけれど、貴族の息子で士官で生活ぶりは放縦だった彼が突然の回心、キリストに倣って荒野の生活を、ついでにサハラの地理学にも多大な貢献をというシェーマには、フランスのエリートの「コネ」がずっと働いていたのだなあとあらためて思う。
イエスに倣ってイスラエルで暮らすとかモロッコの砂漠に出かけるとか、あの時代の「普通の人」にはそもそも不可能なアバンチュールだ。実際、当時キリスト教徒はモロッコに行くことができず、彼はユダヤ人を装って入国している。
砂漠での隠遁を目指しても、砂漠は大海と同じ、孤独の極みだ。彼はどうしてもキリストと一体化できる聖餐を必要とした。それで叙階を受けて司祭に。トラピストにも属した。そういうことがスラスラできるということ自体、知的能力の他に人脈金脈の強力さを感じる。
で、晴れてミサを挙げる司祭になったものの、当時のカトリックでは司祭が一人でミサを挙げるのは無効だった。自分でパンとワインをキリストの体と血に変えてもそれを一人で食するのでは「分かち合い」がないのでミサとはいえない。
で、過去の士官仲間が、ド・フーコーのために運動してローマからの特別許可を得ることに成功した。そのおかげで彼は、植民地での「布教」を禁じられていた当時、砂漠の隠遁所で一人ミサを挙げて、キリストと共にあることができたわけだ。
後に、病に倒れた時も、士官の仲間が救援を送った。それがきっかけとなって彼の「隠遁所」はいつも訪問者が絶えることのない独特な巡礼地のような場所となったわけだ。
インターネットも民間機もないような時代に、ド・フーコーの人脈がこれほど迅速に効果的に、また強力に機能していたのは驚きだ。
フランスでは、一度公式に獲得したタイトルは一生通称として使える。たとえば日本では首相経験者を「前首相」とは言えても「首相」とは言えないけれど、フランスでは前職者やリタイアした人に対して、インタビュアーが大統領とか首相とか大臣とか話しかけることが普通にある。
フランス革命以来の士官学校(ド・フーコーはサン・シール)の卒業生であることは、消えることのない共和国エリートのタイトルであり、しかも彼は貴族の出だ。
その生涯エリートとしての特権を十分に発揮できたからこそ、彼は死にいたるまで「使命」を果たすことができたのだろうなと思う。
王族だった釈迦牟尼から、ダビデの家系であることが最初から認知され誰にも異論を唱えられていなかったイエスまで、その出自がもたらすリスクやメリットについていろいろ考えさせられた。