ベトナムと日本の先祖信仰 カナダ その39既にこのブログで触れたけれど、今回のカナダ旅行で、同年輩のベトナム人男性たちと話す機会があった。ベトナム戦争で難民としてカナダにやってきて半世紀近く、しっかり根を下ろして事業にも成功して今も活動している頼もしい人たちだ。 ここに少し書いた。 上の記事でも書いたTさんは、サイゴンからケベックのラヴァル大学に留学して学んだ人だけれど、家族はもともと共産党を逃れてハノイから亡命してサイゴンで再出発していたのだった。ところがサイゴン陥落と共に、今度はカナダに亡命した。 T さんはカトリック系ラヴァル大学では(点数稼ぎに?)ミサに出席もしていたからか、キリスト教への理解も深い。ベトナム人だから「小乗仏教」系だけれど、一昔前の多くの日本人のようにベトナムのメインは「先祖」を祀ることだから、宗教の細かい教義などは気にしていない。 さまざまな体験をしてきただけに、いろいろな風習の観察や分析も鋭くて、教養ある人だった。 私と彼が話し合ったのは、インドから仏教が入ってきた後で、日本やベトナムの死者の送り方はどう変化したかということだ。 すべての宗教のベースには、この世を去った死者との関係をどう位置付けるかというのがある。最も微妙なのは死と共に「物質」として腐敗し朽ちていく「体」をどうするかということだ。 体の一部を「依り代」として死者とのつながりのよすがにするというのはどの文化にもある。「遺品」もそうだけれど、「腐らない」遺髪などは大切に保管されるなどする。 その中で、体の肌や肉や内臓は「朽ちる」けれど、骨は残るということで、骨になることを待ってからあらためて葬送儀礼をするという文化がある。 生まれ変わりや復活のために体の形をそのまま残そうという文化ももちろんあるわけで、エジプトのミイラだとか、キリスト教の埋葬だとか、中国で見られるように高僧の体をそのまま漆で固めるなどいろいろなヴァリエーションがある。 と言っても、火葬は地獄の劫火を連想するから避けたいキリスト教でさえ、遠征地などの遠隔地で死亡した時には、埋葬ができずに、体を煮て骨だけを取り出すという例もあったように、「遺骨」はいつも死者を偲ぶ対象になってきた。 それでも列福調査で必ず遺体の確認が行われ、「奇跡的に」「腐らない」遺体があった場合は、少なくとも民間の崇敬の対象になるのが現実だし、各種の「骨」は「聖遺物」として広く共有されることになる。 で、日本では沖縄の例を読んだことがあるが、遺体を「仮埋葬」した後、1年後に掘り起こして、海で「洗骨」してから新たに埋葬するというような習慣も存在した。 そんなところに、インド由来で火葬の習慣と共に入ってきた仏教は日本人にとって「都合のいい」発想の転換だった。遺体をまず骨にしてから埋葬できるからだ。しかも、「灰」になるまで焼くのではなく、「遺骨」の形を留めるように焼くという日本ならではの工夫まで定着した。 ベトナムではどうかというと、中国の風習からは離れられないので、仏教が入ってからも、やはり一度は体のまま埋葬して、腐敗してから掘り起こし、その骨を取り出して洗うのでなく、そこからあらためて仏教風に焼いて灰にするという複雑なプロセスだったのだそうだ。 その度に家族総出で儀式が行われるので、Tさんは子供の頃に強烈な印象を受け、今も忘れられないそうだ。 なるほど、「遺骨」へのこだわりがあったり、遺骨を取り出さずに埋葬する習慣があったりする地域に、「火葬」の仏教が入ってきた時、先行する死生観とどのように折り合いをつけるのかということには、さまざまなプロセスがあるわけだ。 今でこそ「遺灰」を海にまいたり樹木の下に埋めるなどいろいろなやり方もあるとはいえ、「外来宗教」「外来文化」に対する日本人の「柔軟な対応」能力って大したものだったのだなあと思う。 文字文化もそうだ。 ベトナムは中国文化の桎梏から逃れるためもあって、「漢字」を捨ててアルファベットを採用したわけで、それによって得た「自由」ももちろんあっただろう。 (毛沢東ですら、識字率を増やすために漢字を禁止してアルファベット表記だけにする政策を取った時期があったがすぐ挫折した。トルコでも「近代化」を目指してアラビア文字を捨てるなど大変動があった。イランでは母音表記を工夫することでアラビア文字を維持した。) 日本では万葉仮名から始まって、仮名文字文化が花開いて、表音文字(しかも母音と子音セット)と表意文字の組み合わせで独特の文字文化が生まれた。 世界一「速読」に適した言語だと言われるゆえんだ。 (これをフランス人に説明する時には、たとえば、83x76=6308 というのをアルファベットで書いてみろ、と言うことにしている。アルファベットなら、まず読まなくてはならない。読んでから理解しなくてはならない。でもアラビア数字と記号なら、見ただけで意味が理解できる。読み方をインプットする必要はない。日本語における漢字もそれと同じだと説明するとみなよく分かってくれる。今はこのことをもっぱら音符(これは形だけでなく位置もセット)の読み方を修得することがいかに大切かを生徒に説明する時に使っている。) 中国文化、仏教(インド)文化、フランス文化、キリスト教文化、今はアングロサクソン文化に席巻されながら、独自の感性を絶やさなかったベトナム人のTさんを通して、「適応」というものの意味をあらためて考えるようになったことに感謝する。
by mariastella
| 2022-08-03 00:05
| 歴史
|
以前の記事
2026年 03月
2026年 02月 2026年 01月 2025年 12月 2025年 11月 2025年 10月 2025年 09月 2025年 08月 2025年 07月 2025年 06月 2025年 05月 2025年 04月 2025年 03月 2025年 02月 2025年 01月 2024年 12月 2024年 11月 2024年 10月 2024年 09月 2024年 08月 2024年 07月 2024年 06月 2024年 05月 2024年 04月 2024年 03月 2024年 02月 2024年 01月 2023年 12月 2023年 11月 2023年 10月 2023年 09月 2023年 08月 2023年 07月 2023年 06月 2023年 05月 2023年 04月 2023年 03月 2023年 02月 2023年 01月 2022年 12月 2022年 11月 2022年 10月 2022年 09月 2022年 08月 2022年 07月 2022年 06月 2022年 05月 2022年 04月 2022年 03月 2022年 02月 2022年 01月 2021年 12月 2021年 11月 2021年 10月 2021年 09月 2021年 08月 2021年 07月 2021年 06月 2021年 05月 2021年 04月 2021年 03月 2021年 02月 2021年 01月 2020年 12月 2020年 11月 2020年 10月 2020年 09月 2020年 08月 2020年 07月 2020年 06月 2020年 05月 2020年 04月 2020年 03月 2020年 02月 2020年 01月 2019年 12月 2019年 11月 2019年 10月 2019年 09月 2019年 08月 2019年 07月 2019年 06月 2019年 05月 2019年 04月 2019年 03月 2019年 02月 2019年 01月 2018年 12月 2018年 11月 2018年 10月 2018年 09月 2018年 08月 2018年 07月 2018年 06月 2018年 05月 2018年 04月 2018年 03月 2018年 02月 2018年 01月 2017年 12月 2017年 11月 2017年 10月 2017年 09月 2017年 08月 2017年 07月 2017年 06月 2017年 05月 2017年 04月 2017年 03月 2017年 02月 2017年 01月 2016年 12月 2016年 11月 2016年 10月 2016年 09月 2016年 08月 2016年 07月 2016年 06月 2016年 05月 2016年 04月 2016年 03月 2016年 02月 2016年 01月 2015年 12月 2015年 11月 2015年 10月 2015年 09月 2015年 08月 2015年 07月 2015年 06月 2015年 05月 2015年 04月 2015年 03月 2015年 02月 2015年 01月 2014年 12月 2014年 11月 2014年 10月 2014年 09月 2014年 08月 2014年 07月 2014年 06月 2014年 05月 2014年 04月 2014年 03月 2014年 02月 2014年 01月 2013年 12月 2013年 11月 2013年 10月 2013年 09月 2013年 08月 2013年 07月 2013年 06月 2013年 05月 2013年 04月 2013年 03月 2013年 02月 2013年 01月 2012年 12月 2012年 11月 2012年 10月 2012年 09月 2012年 08月 2012年 07月 2012年 06月 2012年 05月 2012年 04月 2012年 03月 2012年 02月 2012年 01月 2011年 12月 2011年 11月 2011年 10月 2011年 09月 2011年 08月 2011年 07月 2011年 06月 2011年 05月 2011年 04月 2011年 03月 2011年 02月 2011年 01月 2010年 12月 2010年 11月 2010年 10月 2010年 09月 2010年 08月 2010年 07月 2010年 06月 2010年 05月 2010年 04月 2010年 03月 2010年 02月 2010年 01月 2009年 12月 2009年 11月 2009年 10月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 07月 2009年 06月 2009年 05月 2009年 04月 2009年 03月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 12月 2008年 11月 2008年 10月 2008年 09月 2008年 08月
カテゴリ
全体
雑感 宗教 フランス語 音楽 演劇 アート 踊り 猫 フランス 本 映画 哲学 陰謀論と終末論 お知らせ フェミニズム つぶやき フリーメイスン 歴史 ジャンヌ・ダルク スピリチュアル マックス・ジャコブ 死生観 沖縄 時事 ムッシュー・ムーシュ 人生 思い出 教育 グルメ 自然 カナダ 日本 福音書歴史学 パリのオリパラ 人生観 未分類
検索
タグ
フランス(1360)
時事(805) 宗教(719) カトリック(646) 歴史(430) 本(310) アート(253) 政治(222) 映画(179) 音楽(155) 哲学(114) フランス映画(108) 日本(99) フランス語(95) コロナ(85) 死生観(63) 猫(56) フェミニズム(49) エコロジー(48) カナダ(40)
最新の記事
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ファン申請 |
||