7/14、革命記念日恒例のシャンゼリゼにおける軍隊のパレードは、今年はウクライナへの連帯を示して、東欧の軍隊も参加し、マクロンがフランスの軍隊、核を持つ戦力はEU最強、という印象操作をする絶好の舞台になった。
ちょうど5年前のこの日は、マクロンが最初に大統領に選出された初めてのパレードだった。
今年も、いつもながら、職業軍人だけでなく、消防士や法務官(2011年以来いわゆる軍事法廷は閉鎖されたが)やIT技官や軍隊医学校の学生など「行進」の素人まで特訓を受けて歩かせられる。今年は特に暑くて、みな帽子をかぶっているとはいえ制服姿は暑そうで、みな汗びっしょり、任務の性質上顔出しできず鼻から下をマスクのように覆っている兵士もいるから熱中症にならないか心配だ。
前にも、外人部隊の更新について書いたことがあるが、今年も、行進曲のリズムと歩き方に注目してしまった。
外人部隊だけでなく、演奏されている行進曲のリズムと行進者の足元が微妙にずれていることがはじめて気になった。考えてみると当然のことで、要は、リズムに合わせて腿を前に出すので、軍靴が地を踏むのはその一瞬後なのだ。
日頃生徒に教えているように、音楽は音と音の間にあり、踊りはパとパの間にある、というわけで、リズムによって促されるのは「着地」でなく「前進」であるわけだ。
この日のフランス国家ラ・マルセイエーズは、唱和するオリンピック・メダリストたちの前で披露され、それを聴いて愛国心を刺激されたという知り合いがいたのには驚いた。国歌の前には、ジョゼフィン・ベーカーヤオリジナル曲などのメドレーもあり、マリアンヌ風の衣装を着けたミュージカル歌手のキャンディス・パリーズが振りもつけながら歌い上げていたので、ムードが高まっていたのは確かだが。
マクロン夫妻が映し出されるたびに、これがル・ペン女史であった場合のことを想像してしまった。
それにしても、国家を、国民を守る、という示威のための軍事パレードを見ているだけで、核兵器の廃絶の難しさや、日本の再軍備(核武装)への誘惑などが、なんとなく理解できてしまう。
すべての武器を廃棄して「殺傷」のポテンシャルを下げるという目標を掲げても、それ自体は目に見えないからだ。戦禍の恐ろしさを強調しても、「平和」の希求より「報復」感情の方が先に呼び起されるのが常でもある。
人類が「殺し合う」ことを前提とした「軍事」「兵器」の「勇ましさ」を肯定することで生まれる厖大な利益、権益を想像するとくらくらするほどだ。
陸続きの場所でウクライナ戦争が続いている今、複雑な思いを抱かされた革命記念日の演出だった。