(前の記事の続きです)
Q : 復活の後でも、イエスは「体」の姿でしたね。
A : 福音書の複数の記述でも、その体は非物質的でもエーテルのようなものでもなく、エクトプラズムや幽霊のようなものでもありませんでした。本当の肉体の特徴をすべて備えていたようです。目に見えて、触ることもできて、飲食もできたように。私たちの体と似ているけれどももっと良いもののようです。
Sekko : この辺りは私が昔から気にしていてあちこちでも書いている。
マグダラのマリアの前に最初に現れた時は、「触るな、まだ復活のプロセスが終わってないから」みたいにとれることを言っている(途中で出てくるなよ)し、トマスに「信じられないなら脇腹の傷に指を入れてみろ」と、傷口が開いたままのようなことを言っているし、エマウスに向かう二人にイエスだと見わけられなかったのは「トリノの聖骸布」に見られるようにむち打ちやいばらの冠でまぶたが腫れているなどして面相が変わっていたからではないだろうか、とか、聖骸布にあれほど血が流れているので、復活した肉体は血の気がなかったのではないか、など。
昇天した後の栄光のイエスの図像でもまだ「聖痕」は残っているように描かれていることが多い。まあ、これらすべては最高の「秘跡」でそれこそ「信仰」の次元なのだから、「えっ、死んだ時の姿で復活するなんていやだなあ」などと考えるのは意味がない。
「イエスの復活と聖霊降臨」とよばれる「何か」の後で、弟子たちが世界に目を向けた「使徒」に変身してキリスト教「西洋」のベースを作ってしまったことの方が、信じられないような奇跡だと思う。