(前の記事の続きです)
Q : 現代において「非物質化する」体という考えの魅力はどうなっていますか?
A : グノーシス的なものが復活していると思います。グノーシスというのは、すべて霊的なものが大切で、物質が軽視されるものですが、この数千年の間、この手の考え方は定期的に表に出てきています。でも私については、コロナ禍での外出規制の間、学生にリモートで講義している間に、以前はあった学生たちとの生身の関係性の重要性を理解できるようになりました。
Sekko : 私はさいわい複数を相手にする教職についていないし、Zoomなどのセミナーにも一度も参加しなかった。音楽やバレーのレッスン、トリオやカルテットの練習も、「対面」でないと最初から中止した。(リモートのレッスンを余儀なくされた仲間には、自宅からのレッスンの方がかえって楽だったという人もいる。対面に戻ってもマスクをはじめ各種の衛生対策でストレスが増えたケースも多い)
バレーやヨガの友人で、レッスンの配信をしてくれた人もいる。
でも私には画面を見ながら体を動かすのは無理というかモチベーションが続かない。
外出規制が緩むとすぐに仲間を自宅に招いて練習したし、生徒たちも受け入れてきた。
一方で、ロックダウンの間、ネット配信でニュースや講演会や過去の数々の講演だのインタビューだのをザッピングする習慣がついてしまった。歴史もの、科学技術もの、古典解説ものを毎日のように見ていた。はまらないようにと意識して避けていたのはいわゆる「連続ドラマ」系で、ドキュメンタリー以外は一切見ていない。
だから人気の「連続ドラマ」についていろいろ話したり推薦してくれる仲間たちとは話が通じなかった。日本の友人たちについては、もとより遠いところに住んでいるから頻繁に顔を合わせているわけでないので、「対面」に飢えるという感じではなかった。老親が存命中だったらいろいろ大変だったろうとは思う。
でも、振り返ると、あれだけ「感染」の危機を煽り、「体」の安全の確保を第一にと唱えて、対人距離を拡大、デジタル・ツールを駆使してリモート世界を広げたのって、「肉体」の「重視」だったのか「軽視」だったのかさっぱり分からない。
(「魂」が軽視されたのは確かかも…)