(これは前の記事の続きです)
Q : 実際に病などで体が苦痛の中にある時は、そのような状態にアクセスすることは不可能ではありませんか?
A : 重い病気で苦しんでいる友人とこのテーマについて話したことがあります。友人は「何の苦労もない元気満々の男にパラダイスの話を聞いても疲れるだけなんだよ!ぼくにとっての天国はただ一息つけるということだ。」と言いました。 確かに、多くの人にとって、肉体とはこの世において何よりも苦痛を感じる場所、重荷ですから、「肉体の復活」など考えるのは容易いことではないということを忘れてはなりません。
Sekko : えっ、これがインタビューの結論部分かよ、という感じだ。神学議論から突然普通の地平に視線が降りて、まあ親しみやすくなったというか、逆にこういう病の現実なども視野に入れた上での神学なのかと思えば親近感が湧かないでもない。薬も効かない、制御できない「痛み」に襲われた時は、とにかく肉体のその部分を切り離したい、この痛みから逃れることだけが唯一の望み、という感じになることがある。そこにはもう「死の恐怖」とか「死後の不安」とかいう抽象的なものの入る余地はない。痛みが消えて眠れるものならば他に何もいらない。その眠りがやがて覚めるものか永遠のものかなど考える余裕はない。
苦しみの中でそれを何か大いなるものに「捧げ」ながら、形而上的思考を深める少数の人はいるだろうしその証言は貴重だ。でも、「何の苦労もない元気満々の男」がその余裕や「元気」を無駄に浪費しないで、「弱っていたり虐げられたりして痛みや苦しみの中にいる人」にとっての《救い》はどこにあるのだろう」、と考ええること、その考えをつないでいってくれることは貴重だ。
痛みや苦しみが決して「他人事」ではなく、老いや病や死は、今は「何の苦労もない元気満々の男」の周りにもあるだろうし、想像もできるだろう。苦しみ弱っている人々に寄り添うことこそが「何の苦労もない元気満々の男」の使命なのだ、と彼らに自覚してほしい。
「何の苦労もない元気満々の男」の姿を「理想、目標」に掲げて、努力すれば、あるいは、この薬、この療法、このメソードを採用すれば誰でも苦痛から解放されるという類のビジネスの誘惑を遠ざけるのは容易ではない。だからこそ、「肉体の復活」をめぐる言説に思いを馳せるこの記事を読むことの意味がある気がする。
(終わり)《LA VIE No 4015より》 / Denis Moreau ナント大学哲学史、宗教哲学史教授