9/10、ちきゅう座で「党支配と個人崇拝の禁止を要求――中国に投獄覚悟の公然たる批判現る」という記事を読んで、かすかな希望を覚えた。
ここ。
たとえば、北朝鮮の共産党主席は「英雄」の孫で三代目の世襲だけれど、今の中国は少なくとも世襲ではないし、「ベテラン党員3人」というのが、完全に粛清される運命から逃れられるという期確率はゼロではないのではないか。中国が変われば世界情勢は大きく変わる。
今の世界の混乱の多くは第二度世界大戦後と冷戦後の混乱に根を持っているが、その意味でも、第二次世界大戦にも自らコミットしたエリザベス女王が96歳まで「現役」だったことは、郷愁とともに過去のフランス王室の歴史ドキュメントを見ているようなアナクロニズムが興味深い。
王の「即位」宣言の様子や、王室の蜜蜂の四つ?の巣箱に王の代替わりを宣言するなどフォークロリックなのもおもしろい。(日本の皇室の「養蚕」の伝統とどう関係があるのだろう。)
しかもそれらすべてが、今から70年前の即位と同じでとはいっても、TVで配信されるのが初めてだ。日本の皇室は敗戦によってその性格が大きく変わったから比べられないし、ヨーロッパの他の「王国」や「王室」はこの長い戦中戦後を生き抜いた人はいないし、スペインなど生前譲位もあったから、比べられない。戦勝国であり、植民地政策を一度も謝罪することなく、コモンウェルスに「君臨」できたのも同じ「女王」の顔があったからからだろう。
子供や孫にスキャンダルが起きて、いつもメディアの渦中にあったのも、今や映画やネット配信のさまざまなドラマ仕立で人気のシリーズになっているし、そういうプライバシーゼロでありながら、「体に触れさせない」という伝統もあった。それなのにチャールズ三世はもうボリス・ジョンソンと握手したので、そのタブーは終わりだとも言われている。
ヴァーチャルなのかリアルなのかもう分からない「見世物」に少なくともフランスのメディアはぴったりくっついている。英国国教会の首長なのに、「信仰」という言葉の微妙なニュアンスを使い分けたようなことについてもカトリックメディアがいろいろ評している。
チャールズ三世はジョージとか別の名を選ぶこともできたけれど敢えてファーストネームをそのまま維持し(チャールズ一世は処刑された)、エコロジー活動はよく知られているし、親イスラムなどとも言われているし、リズ・トラス首相との兼ね合いも注目される。
レディDには悲劇の一生になったけれど、カミラ夫人への「愛」を貫いた根性も印象的だ。
ひょっとして、新しいタイプのカリスマを発揮するかも。