ウクライナの情勢がますますエスカレートしてきた頃、TV番組で、地政学の講義を世界中でやっているフランス在住の元ロシアの外交官がインタビューを受けていた。
プーチンが核兵器使用も辞さないというのはブラフかどうかという質問で、これまでもウクライナへの侵攻もまさかと言われていたのに現実になったのだから十分にあり得る、という話になった。
軽く驚いたのは、そこにいた3人がそろって、少なくともパリには核爆弾は落とさない。それをするとフランスはすぐにモスクワに核爆弾で応酬するから、というのだ。
まさに「抑止力」。
で、「メルシー、ドゴール」と皆が言ったのだ。
今アメリカの核ミサイルが置かれているのはイタリアとドイツ(という旧敗戦国)とベルギーとルクセンブルクとトルコ。これらの国は「アメリカ」ではないから、直接アメリカが攻撃されるわけではない。沖縄や台湾の米軍基地と本質的には変わらない。
そういえば、日本でも「有事に備えて独自の核兵器を」という声も上がっているようだ。
フランスでよく言われる話には、チェルノブイリの時と同じで、もしウクライナに戦術核兵器が使われても、風は東に流れていくから、ロシアは自分たちも汚染される、フランスまでは届かない、という眉唾ものの楽観論がある。
ついこの前までフランソワ教皇が「核の抑止力の有効性はもう終わった」と言っていたのに。
元ロシア外交官の教授は、上海で講義した時の学生のリアクションを見て、中国では「愛国心」によるモチベーションりも金融、ビジネスのプラグマティズムの方が大きいと言っていた。「愛国心」を煽ることでは「戦争」に駆り立てることはできないということだ。それがロシアと中国の決定的な違いだと。
確かに、インド、南米、アフリカ、アジアの国々、つまり世界の過半数の人々は、「欧米」対「ロシア」の今回の対立構図を、結構冷ややかに、いつどういう風に動くのが財政上の被害が一番少ないか、警戒しながら様子を見ている感じがする。
日本にはそういう選択肢がまったくない。「欧米」と一蓮托生なら安泰という時代は遠くなったとしか思えないのに。
(今年の新規の生徒に8歳の少年がいる。父親はラジオフランスのレポーターで母親は劇作家で演出家で女優でもあるアーティストだ。彼らを見ていると、親たちが私の子供、彼らの子供が私の孫の世代ということで、次の世代に少しでも音楽という宝を継承させたいと思うと同時に、その機会を子供たちに与えようとしている親たちを支援したいとつくづく思うようになった。核戦争を恐れることは不毛だが、楽器を前にして目を輝かせる子供たちに救われている。)