イランがフランス外務省が渡航の安全度を示すレッドゾーンに入って観光旅行もなくなった最近、イランに入って、滞在中にイスラムスカーフに端を発する抵抗運動にも遭遇した人のインタビューを聴いた。
まず、驚いたのは世代ギャップだ。
この人が何歳かはチェックしていないけれど、ホメイニ革命は1979年でもう43年前なのだから、それ以前のイランのイメージは知らないのだろう。それを知っている人は今や少数派なのかもしれない。
この人は、イランと言えば、ブラックホールみたいに暗黒の国というイメージがあるが、現実はもっと複雑で、自由を求める動きというのは確実に潜在しているというのが発見だった、その後にスカーフ問題からの抵抗が勃発した、という。
(「最近のイラン映画とか見てないのかよ」と突っ込みを入れたいところだけれど。)
で、入国に関して何のチェックもされず、フランス人は自分たちグループ以外にはいなくてとても歓迎されたという。フランス語話者が少なくなく、親仏的だったと。ペルシャ語はインド・ヨーロッパ語なのだと、文化的類縁関係にも感激している。
なるほどなあ、と思う。特に最近は、イランというと、シリアとの関係やロシアとの関係、カラバフ紛争でアゼルバイジャン側に立ったことやらで、G7的にはすっかり「悪者」のレッテルを張られていたからだ。
けれども、今のイランにも、アルメニア人は住んでいて、キリスト教の教会があり、アルメニア人でキリスト教徒であるという証明書(IDカードには宗教が記されている)があれば出入りできて、その中ではワインも自由に飲めるのだそうだ。
サウジアラビアでは、各国の大使館内以外は、プライベートでも飲酒など徹底的に禁止されていたから、サウジよりは寛容度があるらしい。
もっとも、サウジがこれほど徹底的に宗教警察による圧力体制を敷いたのは、ホメイニ革命以降のイランに対抗してのことだったのだから皮肉だ。(そのサウジも今は親米から離脱しつつあるようでこれからどうなるのか注目される)
インタビューに答えたイラン帰りの人は、フランスの女優などがイラン女性を支援するためにカメラの前で次々と髪を切る映像を流したのは逆効果だとも言っていた。(私もそう思っている。)
今回の抵抗運動がイスラム独裁体制を倒せる確率は少ないだろう。指導者となれるような人物はすでに全て検挙されているからだ。これも皮肉だが、1979年にリベラルな王制を倒したホメイニ師は、その前にフランスに滞在していて、フランスで堂々と記者会見もしていた。王制による格差拡大などを批判して革命を訴えるやり方はフランス革命を国是と決めた第三共和制以降のフランスのアイデンティティだから、支持する知識人も少なくなかったのだ。
思えば、当時革命に遭遇してフランスに逃げて戻った女性、その夫のイラン人海軍士官の亡命、彼らの友人でありファラ王妃の恩師であったシスター、やはり亡命した世界的に有名な心臓外科医の息子である医学生(カトリックに改宗して十字架をつけていた)が私の書斎の本棚つくりのバイトをしてくれたこと、様々なペルシャの行事に招かれたこと、彼らから聞かされた多くのことなどが、私のイランを形作ってきた。
学生時代にルーミーに憧れてペルシャ語を学び、地下鉄の中で復習していてアフガニスタンの留学生と出会いそのまま一緒に授業に連れて行ったこと、その他、プライベートでもイランとは切っても切れない関係がある。
そのイランが今やロシアと同様、アメリカ主導の「経済制裁」で苦しんでいることがまた政治のねじれを生み続けている。
フランスも日本も、アメリカとは異なる歴史やスタンスをイランに対して持っている国だ。「制裁」よりもはるかに平和と正義と双方の利益にかなう外交があるはずだ。それを阻んでいる勢力をどう懐柔するかの知恵が求められている。