この映画は最も私の「ツボにはまる」ジャンルだった。
他の映画で宮本信子のおばあさん役も印象的だったけれど、この映画では何と檀ふみがヒロインの母親役(しかも認知症気味の!)をやっているのに驚いた。
ヒロインは、音楽の夢を捨て、地方都市で父親から受け継いだ洋品店を経営し、アマチュアオーケストラを立ち上げて15年、音大時代の恩師(水谷隼、監督もしている)や高校時代の音楽仲間に助けられている。けれども出張で指揮に来てくれていた恩師が倒れ、資金繰りもつかず、内紛もあって、解散を余儀なくされた時、恩師の分かれた息子が病院に尋ねてきて…。それは楽団員も憧れのスター指揮者だが、恩師の実の息子だった。(というが実際の指揮者である西本智実は王子とも呼ばれる女性指揮者というから驚きだ)
楽器奏者のいろいろなディティールもリアルだ。管楽器奏者が全員演奏前に必死にうがいをして口を漱ぐとか、トランペット奏者の平均寿命はジャーナリストと相撲取りに次いで短いだとか、ヴァイオリニストの楽器が当たる首の皮膚が傷むとか、オーボエ奏者の前歯がぐらぐらになるとか、「楽器奏者は何かを犠牲にする」というので大変だ。
プロの指揮者が故郷や他の都市でアマチュア交響楽団を指揮することが実際にあるし、知り合いの指揮者もいるから身近に感じる。
アマチュア交響楽団員を演じる全員が1年以上も必死で楽器の練習をして、ラストのボレロではプロのオーケストラと吹き替えなしで実際に演奏したという「熱」も伝わる。
いろいろな人間模様があって、それでも最後にはクライマックスで、西本智実さんのオーケストラといっしょに「ボレロ」を演奏する。こういうシーンでボレロを使うなんて、ある意味でべたな選択だなあと一瞬思ったけれど、「ボレロ」は私が2020 年、コロナのロックダウンの2日前に、プロアマ混成のオーケストラで弾いた曲なのでその中毒性はよく分かる。
それにしても、この映画の撮影も、コロナ禍で大変だったろうなあと思う。
初演の時の舞台挨拶をネットで見たけれど、舞台上に並んだ俳優の間が透明のアクリル板で遮られている。
練習も、撮影も、すべてが大変だったろう。
いろいろなエピソードがぎっしりで、ミステリアスな伏線もあって、最後まで目が(耳も)はなせない。でも、和解や恋の訪れもあるから気分よく観終えることができた。
よくこんな映画を思いついて完成させたなあと感心するばかりだった。
(この記事を書いた翌日、久しぶりに仲間とトリオの練習をした。音楽の力はすごいとやはり感動する。作曲者の見ていた世界と私たちの世界があっという間にリンクして、行きつく先が「自由」なのだということが体感できる。その後で、1月末のコンサートの合わせをコンセルヴァトワールでやった。ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ(これが私のパート)、ピアノ(管楽器との合わせは別の日)で、オペレットを演奏する。これは、トリオの練習でのような掘り下げや音楽論は抜きで、要するに初見の譜読みなのだけれど、また別の意味で楽しい。チェリストとのボーイングを合わせるとうまくいった。プロアマ混成で、何とか形を整えていく楽しみは、「太陽とボレロ」の世界に似ているかも。)