メリー・クリスマス!!
このクリスマスシーズンにサンシュルピス教会で『Au nom de la mère 』の上演をやっていますが、どうしても予定があわなくて行けませんでした。
Francesco Agnello という監督が脚本、音楽、演出をして、ヨセフ役には味のある役者ジェラール・ルズィエです。
「母の名において」と言うのは、十字を切る時に「父と子と聖霊の御名において(よって)アーメンという所の「父」を「母」に置き換えたものです。
印欧系言語では「御名において」が先で、その次に来るのが「父」であるので、他の二つを抜きにしてもタイトルの意味が伝わります。
原作はイタリアのエルリ・デ・ルカという人ですが、聖母マリアがイエスを受胎した話について興味深い着眼点を提供しています。
演劇は観れないけれどどうしても中身が知りたかったのでフランス語訳の本を買いました。
旧約聖書の世界では、婚約しているだけでも結婚していると同じように見なされ。でも一つ屋根の下で暮らすことはできませんでした。
それなのに、マリアは、天使によって受胎を知らされたその夕方特別にヨセフと会う許可を得ます。そして自分が妊娠したことを告げるのです。
ヨセフはユダヤ世界の掟をすべて知っているので、マリアを石打刑から救える道は唯一、町の外でレイプされて叫んでも誰も助けに来なかった場合だから、そう証言するようにマリアに勧めます。マリアはそれはできないと言い、それからのヨセフはスキャンダルと共に生きていかなくてはなりません。法を守らない者は罪びとです。大工の同業者組合のようなところからも追放されます。
これまで「処女受胎」というのは他の宗教や神話にもある神格化される人物の出生譚のヴァリエーションだろうくらいな印象しかなかったのですが、信仰とは掟を守ることと同義だったユダヤ社会で、ヨセフがマリアの言葉を信じてどうやってイエスの誕生や成長まで守ってやったのか、ということのすごさをあらためて思います。掟やら様々な事情やらよりも、母の胎内に宿った命がひたすら大切で、徹底的に守る、というのは「相対的に強い者の強さとは相対的に弱い者の弱さを守るためにある」キリスト教の根本の教えを身をもって示すことでした。
実はクリスマスの教会で飼葉桶に寝かされている赤ちゃんを見ても、「この子が大人になったら残酷な形で殺されることが分かっているのに、後で復活するからと言われても、とても手放しで祝福する気にはなれないなあ、その先を知らないことにはできない」と思ったり、「みんなは、この赤ちゃんが神が受肉した未来のメシアだと知っているから、この子のおかげでみんなの罪が救われるのだからありがたい、嬉しい、と祝っているのかもしれないけれど、2000年以上経ってもこの世はよくなっていないし、嘘ごまかし、搾取、暴力やら戦争やらがはびこっているのが現実なのだから、手放しで喜ぶ気にもなれないなあ」などと思ったりすることもありました。
でも、マリアとヨセフがこの子を守るためにまさに常人と思えない決意と苦労を潜り抜けたというのを考えると、そうか、この世のすべてのひとが、いつも「最も弱い命」を何としても守ろう、とよびかけられているのがクリスマスなんだなあと思えてきました。
それを思うと、ただただ、世界中の子供たちの小さな幸せを願わずにおれません。
クリスマスに感謝、です。