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L'art de croire             竹下節子ブログ

ベネディクト16世 サイト記事シリーズ その4

続いて、2005/5/15 付のサイト記事のコピーです。


B16とフランス改革教会

別にB16の回し者じゃないのですけれど、勝手にB16ファンになってるので、最新の嬉しいニュースです。5月のはじめ、フランスのエクス・アン・プロヴァンスで、フランスの改革派教会(ERF)の教会会議が行われました。フランスではマイノリティであるプロテスタントの宗教会議です。そこにB16がメッセージを寄せて代表者たちを驚かせました。そこには、「フランス改革派教会のすべての参加者に心からご挨拶します。皆様のためにお祈りすることをお約束します」とありました。この種の会議にカトリックの教皇がメッセージを寄せるなど前例のないことでした。例の Dominus Iesus の中で、プロテスタントは「教会」じゃなく「教会的な共同体」だみたいな言い回しがあったので、ERFの代表は、B16への懸念を表明していました。でも、このメッセージの中でちゃんと「教会」という言葉で呼びかけているので、安心したと言っていました。彼は、枢機卿時代、教書の中身はすべて、合議で決めるので、自分はまとめ役に過ぎないといっています。これから聞こえてくるのが、彼の肉声だとしたら、ますます期待できるかも。

今、無信仰のジャーナリスト(ペーター・ゼーワルド)が枢機卿時代の彼にインタビューした本を読み返しているのですが、彼は一度も質問を事前によこせと言ったこともなく、付け加えも削除も要求せず、いつもリラックスして、肘掛け椅子のひじ掛けのところに足を乗せてしゃべることもあったそうです。この本はとても好感が持てます。1997年に出た『地の塩』という本です。例のヒトラー・ユーゲントのことも語っていて、神学校のために奨学金を得るためには、ヒトラーユーゲントの証明書が必要で、そのために一度だけ参加したら、とナチスの数学の先生に言われ、どうしても嫌だと答えると、分かったと言ってくれて、結局証明書だけもらってくれたという経緯もあったそうです。(2005.5.12


もう一つ。 2005/5/15 付の記事


JP2は聖人になるか

513日、B16JP2の列福審査を開始すると発表した。513日は24年前にJP2が聖ピエトロ広場でテロリストに狙撃された日であり、ポルトガルの聖地ファティマに初めて聖母が現れた記念日でもある。九死に一生を得たJP2は、ファティマの聖母のお陰で救われたとして、腹の中から取り出 された弾丸を、後にファティマの聖母像の冠の中に奉納した。まるで予定されていたようにサイズがぴったり合ったそうだ。

JP2
の葬儀ミサに広場に集まった群衆の中に、「SANTOSUBITO(すぐに聖人に)」という横幕がたくさん見られ、何度も叫ばれたことは記憶に新しい。葬儀を取り仕切ったB16も深い印象を受けたのか、まだコンクラーベの始まる前(つまりB16になる前)に早々と列福(福者の列に加える)審査の開始を求める署名運動を認める許可を出している。それも異例のことだった。もっとも、民衆の声が神の声を反映している( vox populi, voxdei )という伝統もあったから、それ自体は型破りというわけではない。しかし、列福審査の開始は、生存中から聖人の誉れ高い人が逝去した直後の民衆の一時の興奮を鎮めて距離を置いてから判断するという意味で、没後5年は最低待たなければいけないと1983年にJP2によって規則化されている(列聖という言葉を使い始めたのは11世紀初めのB8だった。列福列聖システムを最初に厳密なものにしたのは18世紀のB14で、1930年にピウス11世も手を入れた)。

JP2
の没後41日というのは、特別措置の新記録だ。規則ができてから最も速く列福されたのは、マザー・テレサで、没後14カ月で列福審査が開始された。

列福されるには没後に少なくとも一つの「奇跡」が認定されなくてはならない。福者や聖人は、基本的に死後に神と人の仲介者になるということだからだ、それを確認するという意味合いがある。JP2の場合は、生前にすでに「奇跡」を起こしていたと、彼の個人秘書だったポーランド人神父が報告している。それは2002年のアメリカで、脳腫瘍患者が、JP2の手から聖体を拝受した後で奇跡的治癒を得たと言うものだ。その患者がユダヤ人だったというヴァージョンもある。その時は、JP2が起こした奇跡というよりも単に「神の力の徴し」だと解釈していたそうだ。

没後にも、JP2の葬儀の翌日に、自分の喉の手術の後遺症が消えたと、Francesco Marchisanoという枢機卿が証言しているそうだ。一番分かりやすい「奇跡」は、墓へ巡礼した病人が祈った時に劇的に治るというタイプで、ヴァティカンのJP2の墓は今巡礼者が列をなしているから、多分、 「奇跡的治癒」の深刻にはこと欠かないだろう。

最初の50代のローマ法王は全員聖人と見なされている。しかし10世紀から20世紀まではローマ法王で福者や聖人になった人は少ない。聖人システムは非近代的だと考えられていた節もあるが、外ならぬJP2が、列福や列聖に熱心で、ピウス10世とヨハネ23世という20世紀の二人の法王も列福した。そればかりか、パウロ6世や、即位後33日で急死した前任者のヨハネ=パウロ1世に至るまで列福審査の開始を望んでいたという。

JP2
の列福列聖インフレー ションの理由は、遠い時代の聖人だけでなく、できるだけ広くいろいろなタイプの「信者の模範」を提供したいという意図があったからだ。また歴代の教皇の列福を再開したのは、そもそも教皇という働き自体に聖性が含まれているべきだという見地からだろう。ここでいう「聖人」は、偉いとか模範とかではなく、ひたすら神に仕えて人々に神の恵みを仲介する謙譲の意味を持つ。

B16
はさすがに教皇全列福路線は凍結するようだし、現在審査中の多くの審査も慎重に続けると見られるが、JP2に関してはこれほど速く列福に向かうとは、やはりJP2と同じメンタリティなのだろうか? 

実は、かなりニュアンスが違う。たとえば、JP2はマザー・テレサを列福と同時に列聖したがっていたのを、教理省トップであったB16が反対したという。そして、B16は、列福のミサは枢機卿や司教に任せて自分は列聖式のみ執り行うと発表した。もともと福者はローカルな崇敬が許可される称号で、聖人は、「法王の無謬性」にかけて全教会での崇敬が許されるので、厳然としたヒエラルキーが存在する。それをはっきりさせるために、実は1971年までは、教皇は列聖式のみ行っていたのだ。しかし、特にJP2が膨大な列福列聖式を派手に執り行ったために、今は、福者が聖人になるのは時間の問題で、手続き上の名称の変化だという印象さえ生まれてしまった。

B16
はその違いをもう一度はっきりさせようというわけだB16の繊細なバランス感覚がうかがえる。

彼はJP2の死で自動的に職務を解かれたヴァティカンの枢機卿たちを、自分の即位後すぐに元の職務に戻した。JP2の人事をそのまま継承したわけだ。しかし、自分がいた教理省トップという地位は空いたままだった。その任命は、事実上B16の行う最初の重要人事ということで注目されていたが、それも513日に発表された。サンフランシスコ大司教のウィリアム・ジョセフ・レヴァダだ。このポストにアメリカ人が就くのは史上初めてで、しかもこの大司教は、アイルランド系カトリックのジョン・ケリーが大統領選の選挙活動をしていた時に、ケリー候補を筆頭に中絶法を擁護する政治家に聖体拝領を拒否すると言っていた人だ。ドイツ=アメリカの連携をイメージせずにはおれないこの人事がどういう意味を持ってくるのかは、もう少し観察しないとよく分からない。(2005.5.15)


コメント) 今にして振り返ると、B16はイエスへの「信」は揺るがなくても、現実のヴァティカン「外交」や「政治」については、あまりにも謙虚で、バランスを取ろうとしては四方から揺さぶられた人だったなあと思う。どんなに誠実にふるまおうとしても、教皇庁のトップという立場では、悪意ある見方をされればすべてが陰謀論風に解釈されてしまう。


でも、彼のイエスは決して彼を裏切ることも見捨てることもしない。それを知っている人たちが周りにいたことにほっとする。


by mariastella | 2023-01-08 00:05 | 宗教
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