同性愛というのは分かりやすい。バイセクシュアルというのも分かる。
それらを罪だとか異常だとか病気だとか見なすのは文化や時代によって変わる。
まあ基本的に、類としての人間は、異性愛がなければ滅亡するから、同性愛がマイノリティであったり「特殊」「異常」と見なされたりする傾向はかなり普遍的にある。
ジェンダー理論の中に、社会的な性差を撤廃しようというのもある。
「中性的」「無性的」イメージも構築される。男らしさや女らしさは子供の時からの先入観の植え付けや、玩具や服の色形によって刷り込まれた後天的なものだとする考えもある。
けれども性同一性障害の人を見ていると、どんなに「女の子らしく」育てられても「男の子らしい」ものに惹かれて自分は男だと気づいたりその逆だったり、明らかに「男女の差」ってあるのが分かる。「女」らしさ「男」らしさを捨てて中性的、無性的に生きるより、「別の性」を選択する人が少なくない。
フランスで、昔「性転換手術」が非合法だった頃、施術した医師は司法の場に引き出されたが、彼らを「有罪」にしたくない司法官たちによって、「性同一性障害」は「病気」だと認定された。「病気」なら治療としての性転換手術が成り立つからだ。
ところがその後、性同一性障害は、同性愛と同様、「病気ではない」「異常ではない」という認識ができた。統計的に少数派ではあるが、普通に存在する性的志向のヴァリエーションとして「市民権」を得たのだ。
今は、アングロサクソン国のウォーキズムの影響もうけて、思春期以後に性同一性障害を訴える若者へのホルモン投与などすら可能になりつつある。
と言っても、あくまでもケースバイケースであり、それを判断するのは「かかりつけ医」であるということなのだが、極端な例もある。
しかも、医療社会主義が根付いたフランスでは、「性転換手術」は原則無料となっている。
癌治療や糖尿病治療と同じで、正式に診断が下った時点で「慢性病」として100%社会保険の対象となるのだ。ということは、性同一性障害は「慢性病」あつかいとなる。フランス語でALD( affection de longue durée )だ。(鬱病も含まれる。)
これは明らかにpathologie(病理)だから、矛盾している。
性同一性障害の「障害」は身体障碍や精神障碍などの「障碍」「疾患」ではない。英語ではdisorder、フランス語ではその直訳の語でなく、trouble(トラブル)になる。
人生は大小の障害だらけの道だ。
生き難さをどのように回避していくかを、社会や先達者たちが真摯に手助けできるような世界の実現は可能だと信じたい。