是枝裕和監督の『海街diary』(2015)をビデオ配信で観た。
フランス語のタイトルは「私たちの妹」。
フランスの映画館で観た「そして父になる」の後の作品のようだ。
「そして父になる」は都会が舞台だったけれど、こちらは和風味満載で、食卓シーンも多く、小津安二郎ですか、という感じ。
最初に出てくる山形の河鹿沢温泉というのは架空らしく、ロケは岩手県花巻市の藤三旅館だそうだ。行ってみたいなあ、と思ったので検索して分かった。
そんな風に、フランスで観ていると、郷愁をそそられるようなシーンが多くて、2015年とそう古い映画ではないのに、鎌倉の旧家をはじめ、「現代の機器」風のものがなく、昔の映画を見ている感じになる。
四姉妹がそろって浴衣を着て、庭で線香花火とか、梅酒作りとか、ほとんど「日本すてきで平和」のステレオタイプに見えてしまうほどだ。
鎌倉は私の母の父方の祖父が住んでいたところだ。(彼は明治維新の後、「武士の商法」で何をやってもうまくいかず、13人の子持ちで、「鎌倉の小学校の校長先生」におさまったらしい。)
この映画の鎌倉は本当に美しいので、非現実的とか美化とかいうより、本当に、私の直接知らない郷愁まで誘われてしまう。
若い俳優はほとんど知らないけれど、脇役が大竹しのぶ、風吹ジュン、樹木希林、リリーフランキー、堤真一とか、なじみの役者がいい味を出していてほっとする。
「細雪」風の姉妹物語でもあるけれど、不倫、離婚、死別などの家庭内トラウマの物語でもあり、その感じは、郷愁じゃなくて日本は昔から変わっていないのではないか、という気がする。結婚して家を出る、とか家庭を作る、という感覚や、不倫や離婚への差別感、罪悪感なども残っているようだ。
この映画を観た前日に、ナチス時代のフランスを舞台にしたテレビ映画を観た。ブルジョワ家庭の息子がユダヤ人女性と結婚することを阻止しようとした両親が、占領下のパリでゲシュタポに相談した結果、女性は逮捕され、最後はアウシュビッツで死ぬ。両親の願いは結婚の阻止だけだったのだが、後はどうすることもできなかった。
悲嘆し怒る息子に死なれるくらいなら自分が息子の恋人の身代わりになってでも、とまで決意するが、それもならず、息子も失う。女性の家族は自由フランスの地域に逃げていて無事だったが、そこには複数の子供がいた。
息子はブルジョワ家庭の一人っ子だった。
資産のあるうちで子供がたった一人、しかも「息子」であれば、どんなに息子を愛していても親は判断を誤ってしまう。
戦争などの極限状態にある時は特に、「子供」が複数の方が親の本能を守るチャンスはあるだろうな、などと思ってしまった。
でも、次の日にこの『海街ダイアリー』を観ただけで、感じ方は変わった。
戦争があろうとなかろうと、子供がいようといなかろうと、一人っ子だろうと、きょうだいが多かろうと、親子(誰でも親はいるので)間をはじめとする家族の葛藤は起こり得るし、それが深刻な葛藤や悲劇を産んだり一生のトラウマになることもあり得る、とあらためて思う。それでも人生のどこかでは愛しあったり頼ったり頼られたりする人間ドラマの奥は、深い。