先日、新しい季刊誌を見かけて、興味深そうなので購入した。
地政学、というか国際戦略を語る雑誌らしく、社会党のジョスパン首相の時代に外相だったユベール・ヴェドリンとの対談「西洋ヘゲモニーの終焉」というのが表紙だった。インタビュアーのトム・ブノワが編集長で、去年の9 月にはTVの企画でキエフに行ってゼレンスキーとも対談している(その詳細もこの雑誌に掲載されている)。

ミシェル・オンフレイとの対談「大西洋からウラルまでのドゴール主義ヨーロッパ」や、イランの話、サイバーテロについて、アフリカとロシアの関係など読みごたえがある。
このトム・ブノワって、哲学者で、なんとまだ32歳の大学教師。マルセイユ出身で、建築におけるAIというテーマでの意見も知られている。
日本でも若くて国際的に活躍もしてもてはやされている「頭のいい人たち」がたくさんいるようだけれど、何となく底が浅い気がする。トム・ブノワの教養や年配知識人と渡り合う知性の強靭さはなかなかのものだ。
彼の著書には「ミメティスムという本能」というのがある。ミメティスム、すなわち擬態、それを人間の本能だとした最初の哲学者だという。
つまり、まわりにとけこもう、みなと同じになろうというのは社会的文化的な刷り込みではなく「本能」の一部だという。その一つが生殖戦略にもあるという。
社会的文化的な刷り込みがなければ、人は自然に本能に従う。黒い髪の男は黒い髪の女との間に子孫を作る。黒髪の子供ができる確率が大きいからだ、というのだ。人は自然に自分と似た子孫を残そうとするとというのだ。
なるほどなという気もする。
アメリカなどで異人種間婚姻が長く禁止されていたように、同人種間で共同体を作るのはまさに共同体主義の分割統治という政策的なものだと思っていた。
一方で、日本のように見た目が似ている社会での同調圧力は島国単一民族という幻想の刷り込みのせいだと思っていた。
たしかに「目立つ」ものが排除されるというのはどこにでもある。ブラックアフリカで生まれたアルビノスの子供は殺されることさえあったし、戦後日本で「ハーフ」の子供が差別されるというのもあっただろう。
逆に、「ハーフ」が容貌や身体能力によってもてはやされる時代や場所もある。
しかし「擬態」が本能だと言われると。
もちろん「本能のまま生きる」ことを制御してきたのが人間の社会なのだけれど、たとえば、昨年秋に久しぶりに日本に行った時の、繁華街での圧倒的なマスク着用率と、それに応じてしまうのは「擬態本能」だったと思う。表参道では「外人」はマスクをしていない人がちらほらいた。でももともと「外人」だから「擬態」共同体から外れている。私は日本人だから、マスクしないと目立つ。で、「擬態」。
同調「圧力」と戦う、という人もいるけれど、それが困難なのは「圧力」だけではなくて同調「本能」もあるからなんだとあらためて気づかされた。
春になってどのくらいでオセロゲームの黒白が反転するように、マスクなし擬態が復活するのだろう。
あ、このトム・ブノワについて検索していたら、パスティスで有名なリカール氏の言葉が引用されていた。
Le bon sens est la forme suprème de l'intelligence.
「良識は知性の最高の形である」
知性で本能をコントロールするのが最良の処世術ということかもしれない。