最後のカテゴリーはジャーナリスト。「ジャーナリスト」も基本的には「免状」による「資格」を有する人を指す。
Hugo Clémentはストラスブール出身の33歳で様々なメディアで時事評論をしている。その知名度を利用して著書やドキュメンタリーで動物愛護を訴え、菜食主義を称揚している。『エコロジー戦記』で人々の「参戦」を呼びかける。
Salomé Saquéは女性。27歳の経済ジャーナリストで地球温暖化への対策が報道の優先事項だとする。ツイッターで過激な発言でエコロジー意識を鼓舞し、さまざまなSNS上のプラットフォームを通じて若い運動家のリーダーとなっている。
Hervé Kempfは、気候変動の危機を最初に訴えたジャーナリストの一人で2007年にエコロジーのサイトを立ち上げた。緑の党に近く、政治的には左派よりになっている。「反核」を掲げ、原発をクリーンとするようなエコロジストの「嘘」を激しく批判している。
Cyril Dionは作家、活動家で映画監督でもある。2015年、Cop21の悲観的結論の後で、現状を確認し、しかも希望を失わないドキュメンタリー『あした』を発表。よりエコロジカルでよりヒューマンな社会を再現するための解決法は世界中に存在する、とした。宗教間対話の世話役も経験し、ドキュメンタリー『アニマル』では動物保護の必要を若者たちに広く語りかけ、SNSの訴求力を認識している国が反エコロジー的NPOの活動を看過していることを非難して訴えを起こした。2019年には150人の発起人の一人として、「市民による気候条約」運動を開始した。
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こうして見ていくと、あらためて、SNSの活用がさまざまなイデオロギーの伝播の様態を変容させたことが分かる。
動物愛護で菜食主義というのはある意味短絡で分かりやすいけれど「教義」に陥りやすい。動物を語る時も「人道」を忘れてはいけない。七年間もジハディストの人質にされていたカトリック司祭が、看守に「私たちもいつかきょうだいになれる」と言ったら、激しく「ムスリムのきょうだいはムスリムだけだ」と返されたという。
このことは、ヴォルテールらの啓蒙主義者が人種差別者だったことを思い出させる。彼らは宗教を「蒙昧」だとして、一神教の創造神が人間を似姿として作り、すべての人間はその子孫、神の子としてきょうだいだということを否定した。で、人類も、他の動物のように「種」が分かれており、高等や下等のヒエラルキーがあるとしたのだ。(実際は、人「類」の中に「種」の差はない。科学が発展してくると、人類の系統図が明らかになり、みな「きょうだい」ということが明らかになったわけだけれど)
パスカルが人間は「考える葦」だと言ったように、動物としては葦のように力のない存在でも、「考える」という智慧の実から出発したからには、人間には他の動物や自然との共生をグローバルに考える使命があるのだろう。(この後、インタビュー記事に続く)