Q : エコロジー不安におそわれている若い世代になんと言えばいいでしょう?
FE : 若者たちは、間違っていると分かっていながら今でも規範として残っている「個人的な成功」というモデルにとらわれています。
エコロジーのめざす共生に積極的にかかわる気持ちにさせるモデルは何でしょう? いくつかのモデルは考えられますが、それを言説で唱えても説得力がありません。やはり実例の紹介や体験談が有効です。具体的なアクションを、関係性を築く中で起こし、生命の輝きをも放っているような人々です。生き生きとして、ベースに楽観と希望がある社会学者ブリュノー・ラトゥールの周りには多くの若者が集まってきました。(ブリュノー・ラトゥールは、昨年亡くなった社会学者、人類学者、神学者、科学哲学者。フランスならではの知の広がりを持った人だった)
CP : 今の状況をはっきりと自覚するだけでは鬱状態に陥りかねません。でも、そのようなエコロジー不安症の若者たちは現状を否認したいわけではなく、実のない議論を拒絶しているのです。彼らは「誠実さ」と勇気ある決断を待っています。
現行の産業の方式に変わるエコロジカルで実現可能な別の方式の価値を示す必要があります。そしてエコロジカルな方向に生き方を変えたりイノヴェーションをしたりする人々を援助しなければなりません。エコロジーへの舵取りはその途上であり、世代間を結ぶものであり、生きとし生けるものを守るものであることを伝えなくてはなりません。
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具体的なアクション、生命の輝き、などと聞くと、アフガニスタンの復興のため砂漠の灌漑に命を懸けた中村哲さんのことを思い出した。
彼の残した言葉にこういうのがあるそうだ。
「水が善人・悪人を区別しないように、誰とでも協力し、世界がどうなろうと、他所に逃れようのない人々が人間らしく生きられるよう、ここで力を尽くします。内外で暗い争いが頻発する今でこそ、この灯りを絶やしてはならぬと思います。」
エコロジーなら、「地球以外に逃れられない私たちが人間らしく生きられるよう明かりを灯し続ける」ということになるだろうか。
(銃撃が中村さんの命の灯を消したけれど、彼の残した思いの灯はしっかりつなげられているようだ。)
世代間の連帯、誠実さ、勇気、希望…。
言われてみれば、当然のことだ。
それなのに、それとは逆の、世代間の分裂、欺瞞、日和見、無関心、などがデフォルトであるかのような論調が蔓延している。
ほんとうに「人間らしく生きる」ことが、他の生き物も地球も救う基本なのかもしれない。私たちはなんと遠くに来てしまったのだろう。