これを書いているのは4/13、朝のラジオで、4/12にガイヨー司教が急病で亡くなったと知った。87歳。フランシスコ教皇と同年配だ。
彼については『神と金と革命がつくった世界史』(中央公論新社)の中でも書いた。
多分別のところでも書いたことがあると思う。
このブログ内で検索してみたらこういう記事があった。読んでみてしんみりしてしまったのでここに貼っておく。
これを書いている時点での明日4/14は、憲法委員会がマクロンの年金改革法の是非の審査結果を発表する。フランスではデモが再燃している。
この委員会の委員長はローラン・ファビウス元首相だ。彼は77歳で、今思うと、最初に首相になった時、わずか37歳だった。当時は、私より年上だから驚きを感じていなかったけれど、その後、一世代下のマクロンが39歳で大統領になった時には「時代」についていろいろ考えさせられたものだ。
その上、ファビウスはもともと外見も態度も「若さ」を強調するタイプではなかった。カリスマ性に欠けていたのか、何度も大統領選に落ち続けた。環境会議のパリのCOP21では健在なところを見せたが、今回、フランスを揺るがす年金問題でまた注目の的になっている。(そもそも77 歳で要職についている「生涯現職」の人にとって64歳の年金支給の問題は「体感」としては分からないだろうけれど)
それでも、政治家は「(他者の)権利の奉仕者」で「(自分の)義務の奴隷」であるとか言った人だった。(彼が引用した言葉だったのかもしれない)
文字通りに受け取るとかなり過激な言葉で、そんな覚悟の政治家は今や絶滅危惧種ではと思えてくる。
それは、聖職者、宗教者にも通じる覚悟だろう。
ガイヨー司教の「義務」は、「上司」や体制の指示や決まりに隷従することではなく、キリスト教の根本にある「弱い立場にある人」への徹底的な奉仕だった。
できるだけ多くの人に寄り添い、支えるために、政治家になる人もいれば宗教者になる人もいる。
彼らを促したのは、同じ「聖霊」なのだろうか。