暗い映画2本観た後で、今度は邦画と思ったのだが、これも救いのない感じだった。
イニシェリン島のカトリック色は当然だったが、この邦画も、ヒロインの実家がカトリックらしく、母の葬儀も教会だし、司祭に告解するシーンも出てくる。「罪」や「罪悪感」にまつわる苦悩の手軽なケア(しかも無償)には、原則「赦し、免償、救い」の出口を用意してくれる宗教って存在価値がある。
でも「宗教」的にも完璧な形で愛を注ぐ母に育てられた娘には、「完璧」さが強迫観念になっている。裕福な家庭で余裕があるからこそなのだろうけれど、結局、子供には、親の失敗や後悔も含めた試行錯誤の中でも揺るがない愛というのを感じさせるのがバランスが取れるのかも。
夫が全共闘世代で、当時の「同志」で元恋人とつきあい続けていたという設定も含めて、母娘三代にわたるストーリーだから、色々時代を感じさせられる。
女には2種類ある、母と娘、という感覚や、母から娘へと命を繋いでいく(しかも一人っ子)という設定もステレオタイプだ。日本の家制度の核には、男の子で繋いでいくという刷り込みがあるからその反動バイアスもかかる。
エリザベト・バダンテールがあれほど強調した「母性神話説」はどうなっているのだろう。人は自分の子よりも、ペットに対しての方が自分の弱さや不完全さの自覚も含めてバランスよく生きられるような気がするほどだ。
「お腹を痛めて命を繋ぐ」ことの絶対性などという思い込みは捨てた方が皆が楽に生きられるのでは、とあらためて思う。