11時少し前、店を出ると広場にもう長い列ができていた。
観光客が圧倒的に多い。
荷物検査があるところが昔と違う。
コインロッカーが透明で中が見えるようになっているのも、爆発物などを牽制するからだろう。広々しているので混雑感はない。
カラフルな子供の遊び場風のところも?
最上階テラスに出る。エッフェル塔。
モンマルトル。
ノートルダム。
もう何年かぶりなのに、ここに来るとホームに戻ってきたような気がする。石油コンビナートみたいだと非難され揶揄された建築だが、1977年の開館当初から、この近代アートとカルチャーのセンターを支援する友の会みたいなものに参加していた。だから、すべての展覧会は優待券やパスがあったし、友人を推薦することもできた。会館1 周年記念のパーティにも招かれた。建物をかたどった巨大なケーキのことを今も覚えている。それだけではない。もちろん今はもうないが、このセンターのすぐ近くに、ベトナム人の知人が「七つの牛料理」というレストランを開いて、そこではじめて、本格的なベトナム料理の食べ方を教わった。七種類の牛料理ですごい量だったと思うけれど、若かったからよく通った。もう一つ、やはりセンターのすぐ近くに、知人がパリではじめてのゲイバーを開いた。彼はある役所の公務員で、水面下でそのバーを開く準備をしていたのを理解して助けてくれたというので同僚2人を招待した時に私も招かれた。
今の感覚での「ゲイバー」ではない。1981年(つまりミッテランの社会党政権)まで、フランスでは同性愛は「軽犯罪」に分類されていた。つまり、ゲイバーを開いたり、通ったりすることは公には「罪」だったわけだ。「同性愛」を「病気」として治療の対象にするというのは、1990年代まで続いたと思う。
私たち(男一人と女二人)はテーブル席で普段通り楽しくおしゃべりしていたけれど、マスターである同僚は少し焦っていた。女性がいるということ自体を気にする人がいるかと心配だったのだろう。実際は、店をぎっしり埋めた男性のカップルたちは、わき目も降らず抱き合ったりキスし合ったりしていた。
日本ではすでに当時の美輪明宏のような女装歌手や、おすぎとピーコのような「オネェ系タレント」と呼ばれるような芸能人がいたけれど、そのバーにいたのはマスターも含めてまったく「普通の男」の外見だったから、当時は禁止されていなかったタバコの煙の中で、まるでパラレルワールドに迷い込んだような気がした。
彼の他にもゲイの友人はいて、いろいろな交友があったけれど、同性愛が軽犯罪ではなくなった頃からむしろ遠のいて、その後でエイズ禍がフランスを席巻して以来消息が絶えたので、彼らが今も健在なのかどうかも分からない。
ポンピドーセンターによく通ったのもう一つの理由は図書室だった。図書室ではビデオ資料が自由に視聴できて、フランスやヨーロッパの美術、建築、祭り、歴史などについての豊富なコレクションに好きなだけアクセスできた。他の国立図書館よりハードルが低かった。まるで宝物館に入るような気がした。
今では、同じことが自宅の書斎のPCでできる。国立図書館にもアクセス自由だ。
「知」への距離が劇的に変わった。
21世紀に入っても、ピアノの生徒の母親がセンター勤務だったので招待券などをよくもらえた。ポンピドーセンターだけでなく、ミュージアム一般から足が遠のいたのはやはりパリでの同時多発テロなどの後だったと思う。観光客が集まるところを何となく敬遠するようになったと思う。それでも、ポンピドーセンターの46年間にはいろいろな思い出が重なっている。
そんな中、久しぶりのポンピドーセンター。リシエの大規模回顧展に巡り合えるとは思わなかった。
(続く)