Reconnaissance とAcceptationについて考えていた。
後者はすんなり受容と訳せるけれど前者は「了承、了解、認知、容認」など微妙。
考えていたのは、この認めるけれど受け入れられないもの、認められないけれど受け入れるものが混在しているということだ。
個人的で卑近な例でいえば、コロナ禍の人通りの少ない屋外でのマスク着用の必要など到底認められなかったけれど、フランスの場合の罰金可能性、日本での他人の眼、などの理由で、ずっと受け入れていた。
あるいは、同じコロナ禍でいうと、病院のキャパシティに限界があるから運ばれてきた患者をトリアージュして、若者を優先するなどのやり方など、理解はできるけれど、感情的には受け入れられないことなどだ。いろいろなプラグマティックな政策も、信条的に、思想的に受け入れられないことも多々ある。
この認めることと受け入れることは違う。
それを混同したくない。
このバランスをどうとって生きていくかというのが一瞬一瞬の選択だと言うことを忘れたくない。
最近、カミュのノーベル文学賞受賞スピーチの録音を久しぶりに全文耳にして、いろいろ考えさせられた。生の声というのはやはりインパクトがある。
日本語で全文紹介できないかと検索したらこの部分しか見つからなかったけれど、ここだけ読んでも、カミュの頃と今と、深刻さは変わっていないというか、ひどくなっているばかりだなあと思わざるを得ない。
(ちなみにこれを訳しているのは母の従弟だ。まだお元気だろうか。)
フランス語ではもちろん全文読める。
このテーマを引き続き考えるためのメモとしてここに残しておく。