先日読んだ「ちきゅう座」の記事を忘れないため下に一部コピーとリンクをしておく。
「普遍的人権と国際法を西側(文化的)植民地主義として退けることによって、プーチン大統領の新しい世界秩序観は、価値自由な多極化に行きつく。」という話だ。
プーチンの「多極化世界」は、民主主義や人権を普遍的な価値とみなさず、いわゆる大国が地政学的な影響圏でフリーハンドを持つ世界だというのは、本当だなあと思う。サウジアラビアがアメリカとの同盟関係を保持していたのも、今度はそれを捨てて中国と組むのも、そこには彼らの宗教イデオロギーすら関与していない。基準となるのは「経済」だ、といっても、ある国が「豊かになる」のはほとんどの場合、その国の内外の被抑圧者の犠牲を強化するのが実情だ。
民主主義や人権、自由や平等を普遍価値として掲げることは、実情としては偽善や汚職や不平等をカバーしているだけだとしても、今の段階で人間が到達した最善のものだと思う。様々な形の抑圧、搾取、洗脳の力に対抗するための識別力を養うベースとなるのは「表現の自由」だと思う。戦争にも災害にも遭遇せずに「普遍的人権」を掲げた国に生きてきた者の義務の一つは、考えて、考え抜くことなのだろう。
>>> インドの共産主義者カビタ・クリシュナンが正しく指摘しているように、「国民国家内または国民国家間の政治的対立への対応を、多極化を主張するか、一極化を主張するかのゼロサム選択肢として提示することによって、左派はその最盛期においてさえ常に誤解を招き不正確であったフィクションを永続させることになる」。しかし、このフィクションは、ファシストや権威主義者におもねるための物語や劇的な装置としてのみ機能するため、今日では実に危険きわまりない。
プーチンは、「西洋の支配」に反対する左派的で反帝国主義的なレトリックの背後に、同様に帝国主義的な主張を隠すために、この混乱を宣伝にうまく利用する方法を知っている。[・・・] 普遍的人権と国際法を西側(文化的)植民地主義として退けることによって、プーチン大統領の新しい世界秩序観は、価値自由な多極化に行きつく。ロシアの場合、これは具体的には米国に向けられた反帝国主義の名の下に、「ファシストになる」(クリシュナン)自由に相当する。あるいは、ロシア亡命社会主義運動が「西側の『平和主義者』の幻想」に対して書いているように、「プーチンが世界におけるアメリカの覇権の破壊、さらには『反植民地主義』(!)について語るとき、彼の場合、それはより平等な世界秩序の創設を意味するものではない」。プーチンの「多極化世界」とは、民主主義や人権がもはや普遍的な価値とみなされず、いわゆる大国が地政学的な影響圏でフリーハンドを持つ世界である。それは事実上、第一次世界大戦以前の国際関係システムの再興である。この「うるわしき旧世界」は、独裁者、腐敗した右翼政治屋にとって素晴らしい場所なのだ。しかし、そこは、労働者、少数民族、女性、LGBT、小国、解放運動にとっては地獄となるだろう。<<<<