生のオーケストラって贅沢だなあと感慨。フランスは、コロナ禍の最初の1年、罰則付きのロックダウン政策がとられ、全ての劇場、文化施設が閉鎖された。 その後も丸1年ほどは、屋内のマスク着用や、座席の間隔を開けるなどの処置が残っていた。 完全にフリーになったのは去年の初夏だった。 閉鎖された劇場内から演奏や芝居を録画配信する人たちもいたし、閉鎖が解かれた後はマスクをつけても、入場制限があっても堰を切ったように文化施設に駆けつける人もいた。でも私は、マスクをつけて劇場や映画館に行くのも嫌だったし、演奏者がマスクをつけているのを見るのも嫌だった。それが続いたから、去年の初夏にすべての規制が解かれても、コンサートに足を運んだり美術館に行ったりすることもほとんどなかった。 日本を含めて旅行中に美術館を訪問したりことはあるけれど、パリに関しては、招待状をもらったルーブル美術館や最近のポンピドーセンターのリシエ展をのぞいては、みな知人の個展やグループ展に限られていた。 コンサートについてはもっとコロナ禍後遺症がひどくて、このバカンス前の6/17に、コロナ禍後初めて管弦楽と合唱を鑑賞した。 その前に本格的な生のオーケストラの演奏を聴いたのはなんと、4年近く前、2019年秋に日本で鑑賞したオペラだったようだ。 そんな私が、ついに、6/17、地元の教会の献堂200年記念の行事のコンサートに出席したのだ。衝撃は大きかった。 何しろ、オープニングがベートーベンのコリオラン序曲だったのだ。オーケストラの醍醐味が詰まったような曲で、しかも、私を揺さぶるハ短調。 劇的で衝撃的な始まり部分。それだけで一瞬にして、過去にたくさんのホールで聴いたたくさんのオーケストラ曲の世界に揺り戻されていた。 このブログの少し前の記事でダヴィッド・グリマルについて書いた時に、近代以降のオーケストラが、指揮者の巨大な楽器であることへの違和感に触れた。でも、「聴き手」としては、ただ座っているだけで、巨大なホール、大オーケストラ、大音量、劇的な構成、などに包まれ、忘我に近い体験をできるのだ。非日常の目くるめく世界。 私は中学時代くらいからコンサートホールでクラッシック音楽を聴いていた。ヌレエフとマーゴット・フォンティーンのバレエなどは小学生の頃に観た。ルービンシュタイン、クライバーンらのピアノ、オイストラフのバイオリン、ビルギット・ニルソンやマリア・カラスの独唱、カラヤン、ベルリンフィル、オーマンディとフィラデルフィア、アンセルムとコンセルトヘボー、バイロイトオペラ、サヴァリッシュ、リヒター、アラウ、大阪のフェスティヴァル・ホールにはお世話になったし、上野の東京文化会館、NHKホールまで、可能な「有名どころ」はすべて視聴できた。(それでも日本では抽選に外れて聴けなかったベームの指揮をパリのオペラ座ではたった10フランで聴くことができた。) 一流の音楽だけを聴いてきたことには意味はあると思いたいが、当時は、同年代のクラシックファンの友人に対する「マウント」もあったのかもしれない。著名なワグナー評論家からもらったザルツブルグの絵葉書を友人に見せた記憶もある。 大阪のフェスティヴァル・ホールでは当時「フェスティヴァル能」というのもあったようだが、見向きもしなかったし、小澤征爾も含めて日本人指揮者や演奏家には興味がなかった。今思うと、親が当時それなりの高額のチケットを言うなりに買ってくれたからで、「舶来」「本場」志向のミーハーだったに過ぎない。 日本では個人レッスンを受けていたピアノや声楽やギターの発表会などには出ていたけれど、フランスで1980年から2つのコンセルヴァトワールを通してアンサンブルに参加した体験が音楽観を変えてしまった。雲の上の著名演奏家たちの演奏よりも、誰と何をどのように弾くのかが興味の中心となり、そうして知り合った仲間たちの別のアンサンブルを聴くことが楽しくなった。アートサロンを始めたので、いろいろな国籍のアーティストにも演奏の場所を提供し、世界が広がった。ロン・チボー・コンクールのガラや他のコンクールも視聴したし、もちろんいわゆる一流どころの演奏家のコンサートにも行ったし、オペラや大オーケストラも聴いたけれど、人間性とその時々の「場」のマジックに関心が生まれた。フランス・バロック音楽との出合いは決定的に音楽との関係性を変えた。 でも、子供の時、若い時に聴いた大ホールのオーケストラへの憧れはどこかにあった。ピアノやギターと違うモノディックな楽器、特に擦弦楽器に惹かれた。その夢をかなえるため、29年前、ヴィオラを始めた。(ハ音記号だからギターと被らないと思ったからだ。) 弾いてみると、楽器が間接的にせよ顎にあたることもあって、自分が弾く音色の印象は、客席から聴く印象とは違っていた。それでも、一通りの過程を終わり、室内楽でトリオやカルテットをやる楽しみができた。 ヴィオラのおかげで、フィルハーモニーの大ホールでの200人演奏にも参加できたし、ブランデンブルグだのボレロなどのオーケストラの楽しみにも参加できた。ロックダウン注も室内楽は続けたし、コンサートが解禁されてからは嫌だったけれどマスクで舞台に上がった。マスクが必要なくなってから、今年になってからも、シュトラウスのワルツなどの管弦楽演奏に参加できた。だから、コントラバスやチェロや打楽器や管楽器との演奏は楽しんでいるし、拍手される楽しみも味わっている。 オーケストラの一員としてパートを弾くのは、指揮者に従っていればいいので基本的に楽だし、気をつける最大の点はリピートするところやダカーポ、コーダなどへの移動で、難しいパートでなければ、大して練習しなくても「全体」を楽しめるのは楽しかった。 でも、「視聴者」として舞台の向かいに座って、「全体」を楽しむのとは全く違う。 それが、今回、編成の規模は大きくないとはいえ、とても音響のいい教会で、プロアマ混在のオーケストラと合唱を鑑賞することで、「忘我」の楽しみを久しぶりに味わった。 暑い日だったので、やってくる人はみな半そで半ズボンなどラフな格好だ。(指揮者や男性奏者は黒スーツに蝶ネクタイで暑くて気の毒だった。冷房などもちろんない) ![]() ![]() ![]() サン・エチエンヌ教会で、 エチエンヌというのは最初の殉教者ステファノのこと。石打刑で殺された。この後ペトロたちはエルサレムを離れ、福音が広まっていったのだから迫害している側にとっては皮肉だ。祭壇の上にその殉教図が描かれている。 合唱はビバルディのグローリア。楽器と声の混成というのもすごいことだなあ、と思う。第二部はシベリウスのペレアスとメリザンドだった。その他にもシベリウスのワルツなど。 ![]() ![]() ![]() でも、オーケストラの錬金術はまた別物だ。一員として弾いている時は、ほんの一部だし、ソリストでもないから気が楽だけれど、外から全体を聴くとすごいことが起こるんだなあ、と今さら思った。 バロックだと、自分のパートを弾きながら「全体」も自分でクリエイトする。すべてのパートと、体がつながっているような感覚になる。一体感と言うのとは少し違う。一体感にひたる要素はないからだ。 でも、ともかく、久々の「生のオーケストラ」を、楽器を持たずに鑑賞できた贅沢、しかも「コリオラン」の洗礼、音楽があって、生身の演奏者がいることの幸せに浸った夜だった。
by mariastella
| 2023-07-28 00:05
| 音楽
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