イエスはユダヤ社会のラビだったけれど、キリスト教をキリスト教にしたのはなんといってもパウロの功績が大きいとされている。
そのパウロが、尋常でない精力で、何度も困難を乗り越えつつ、広大な範囲に「伝道」できたのは、ローマ帝国の交通網あってのことだった。
そのパウロの熱烈な「説教」でさえ、長いと「居眠り」する人もいたようだ。それが大事故につながった例もある。
トロアスというのはトルコの港で、パウロはここを通ってギリシャに伝道した。それによってキリスト教が「ヨーロッパ」に広まることになる。
三度目の伝道旅行の帰路、トロアスで、皆でパンを分け合う(聖餐の原型)集まりの際、パウロは人々に説教していた。使徒言行録20章の5-12章にその事件がこう書かれている。
>>私たちは、除酵祭の期間が明けた後フィリピから船出し、五日でトロアスに来て彼らと落ち合い、七日間そこに滞在した。週の初めの日、私たちがパンを裂くために集まっていると、パウロは翌日出発する予定で人々に話をしたが、その話は夜中まで続いた。私たちが集まっていた階上の部屋には、たくさんの灯がついていた。
エウティコと言う青年が、窓に腰を掛けていたが、パウロの話が長々と続いたので、ひどく眠気を催し、眠りこけて三階から下に落ちてしまった。起こしてみると、もう死んでいた。
パウロは降りて行き、彼の上にかがみ込み、抱きかかえて言った。「騒がなくてよい。まだ生きている。」そして、また上に行って、パンを裂いて食べ、夜明けまで長い間話し続けてから出発した。人々は生き返った若者を連れて帰り、大いに慰められた。<<
三階の窓から後ろ向きに転落して死んだ、など驚きだ。
居眠り自体は非難されない。逮捕される前夜にゲツセマネで血の涙を流しながらイエスが祈っていた時に、弟子たちは眠りこけていたけれど、寝ずに「裏切り」を準備していたユダのように悪魔に付け込まれる心配もなかった。
この若者が本当に死んでいたのか、気絶していただけなのか、パウロが「奇跡」的に蘇生させたのか、死んでいなくても、騒がなくてもよい、と放置されて何事もなく回復するのか、いろいろ疑問もわく。
このエピソードをまた説教のネタとして使う時は、「我々もみなエウティコであって、霊的な言葉を耳にしないままに、暗闇に転落するリスクを抱えている」などと言われるようだ。
パウロについて、へえっと思うのは、「コリントの信徒への手紙二,10, 1-2」だ。
>>さて、あなたがたの間で面と向かっては弱腰だが、離れていると強気になる、と思われている、この私パウロが、キリストの優しさと公正さとをもって、あなたがたに願います。私たちのことを肉に従って歩んでいると見なしている者たちに対しては、勇敢に振る舞うつもりです。そう確信していますが、私がそちらに行くときには、強気にならずに済むようにと願っています。
私は手紙であなたがたを脅していると思われたくはありません。<<
だそうだ。
では、トロアスでパウロのもとに集まった人たちはみなすでに「信者」だから、パウロは強きにふるまう必要がなくて「弱腰」というか、静かに訥々と話していたので、なおさら「眠気」を誘ったのかなあとも思う。
イエスの一二使徒も、パウロも、みなえらく人間味があるところが妙にリアルだなあ、と思ってしまう。