7月初め、終わらないウクライナ戦争や若者の暴動やらで不穏なフランス、革命や戦争の前後にはいつも聖母マリアのお告げがあった、とカトリック系メディアが強調していた。日本の「秋田の聖母」の涙についても取り上げられて、秋田の聖母が予告したカタストロフィは広島、長崎を経験した日本だからこそ真に迫っているとか、長崎でも一家でロザリオを唱えていたうちは奇跡的に無傷だったとか言っている。
現地の事情を知らない人たちは何でも言えるもんだなあ、と思う。
私は秋田の湯沢台の聖母像についてはシスター笹川とコンタクトがある方に現地で話を聞き、韓国のナジュの聖母の話と共に地政学的にも比較文化的にも分析したことがある。その一部は『聖女の条件』(中央公論新社)で述べた。
フランスの聖母ご出現については、ポンマンのご出現とサレットのご出現についてまだ書いていないのでそのうちじっくり書いてみたい。
フランスはノートルダムの名で知られるように、聖母マリアを第一守護聖人とするくらい「マリアの国」だと思っている。革命があろうと、無神論があろうと、フォークロリックな欲求はいつも聖母が引き受けてきた。
21世紀の今でも、最低一年に一度は聖母の行列や巡礼や祭りが3000ヶ所であるという。一つの県に30ヶ所という割合だ。それが特に攻撃対象になるというのは聞かない。イスラムでもマリア(ミリアム)は崇敬されているし、イデオロギーと関係のない地域共同体の祭りだからだろう。
それを思うと、日本の氏神様などの祭りと同じベースかもしれない、と思う。人は毎日の労働とは別世界の「聖」の時間や空間を必要とするのだろうなと思う。
そこで「神は存在するか」などという疑問を呈する者はいないだろう。明治の国家神道をさえ生き延びた。
それなら日本的な多神教世界では、秋田の聖母にだってもっと寛容であってもよかったはずなのに、日本のカトリック教会はそういう「騒ぎ」を徹底的に避けようとした。日本にとって、キリスト教は欧米先進国文明とセットだったのだから、精神的である必要があり、「蒙昧」な民間信仰や新興宗教と差異化する必要が一貫して存在したのだろうか。
付記〉
8/7 にこういう記事を読んだ。
フランスでもヒロシマのニュースが流れ、岸田総理が広島出身でG7サミットも広島でやった、と付け加えていた。それを聞いて、そうか、だから原発の処理水(汚染水?)の放出を夏ごろまでにと言いながら広島、長崎の追悼行事より前にはできなかったんだなあ、と納得がいった。