8月初めの話、ポルトガルのリスボンでWYDが始まって2日目、ローマ法王が到着した。若者たちが沿道に詰めかけてすごい歓迎ぶりだった。
で、その後、登場したフランチェスコ教皇は、会場に車椅子で進んだ。赤ん坊を差し出して祝福を受けようとする人がたくさんいる。教皇は車椅子だから少し不便だ。
その後は立ち上がってスピーチをしていた。
最近はずっとこういう感じだから違和感はないし、この暑い夏に、よく無事に参加できたなあ、と感心する。ベネディクト一六世やヨハネ=パウロ二世も、晩年はかなり弱っていたわけだけれど、車椅子姿というのは覚えていない。
なんとなく、最近Arteで視聴したフランクリン・ルーズベルトのドキュメンタリーを思い出した。第二次世界大戦時のアメリカ大統領、実は日本との戦いを避けたいと公言していた人だけれど、そして終戦前に死んでトルーマンが後任となったわけだが、日本人としては良い印象を持てるわけもない。
ドキュメンタリーで驚いたのは、彼がわずか39歳で両脚が麻痺していた障碍者だったということだ。ポリオだとか、今はギラン・バレー症候群ではなかったか、だとか言われているらしいけれど、ともかくかなりの重症だった。立つときは片腕を息子の腕に回していたが、両腕を支えなければ無理だった。その腕を後ろに回して杖が見えないように工夫していた。階段をの上り下り、車や飛行機の乗り降りなどごまかすのは不可能だが、そういう時は全てのカメラマンが撮影禁止を申し渡されていた。家族写真を撮る時も、芝生にゆった り足を延ばしているように見せる演出だったし、ヤルタ会談の時もカメラを回すより先に真ん中の椅子に腰かけていて、後から彼の両側にスターリンとチャーチルがそれぞれ左右の席に着くのが撮影されている。
1939年の大統領予備選でアメリカ全土を遊説に回るなど、相当な強行軍なのに、やり通したし、車椅子の姿も見せず、一人で立つことができないことも悟らせなかった。
うーん、激務を遂行すべき大国の大統領、体力ももちろん必要だが、「平均」より大きく強いマッチョな外見の方が有利だろう。特に「戦争」に当たっては、家父長的頼もしさが求められてもおかしくない。
「働き盛り」の年齢で、自力で歩くことも走ることも、いや立つことすらできないというのは、ハンディでしかないだろうし、だからこそ、絶対のイメージ操作が必要だったのだ。
とても裕福な家庭に生まれたのだから、生きるために働く必要はもとよりない。両脚麻痺になった時点でリタイアして、座ってできる趣味などに没頭することだっできたのでは?と思ってしまう。
一般人からスマホで撮影されるような今と違って、限られた御用ジャーナリストにのみ撮影ができた時代だから、隠蔽は難しくなかったのかもしれない。
でも、なんだか、痛々しい感じもする。それでも「大統領」になりたいのだ。
一方、若く元気にあふれた若者たちの大声援を浴びながら、フランチェスコ教皇は微笑みながら車椅子で進む。
超大国アメリカと、世界一小さいヴァティカン市国。
セオドア・ルーズベルトの遠縁でもある富裕な家庭に生まれたフランクリン・ルーズベルトと、イタリアからアルゼンチンに渡った移民の子孫であるフランチェスコ。
リーダーのルッキズムって何だろう。