今年のノーベル文学賞はノルウェーの劇作家、ヨン・フォッセが受賞することになった。
作品を読んだことも戯曲を観たこともないので何も言えないけれど、人の心の哀切や苦しみを描くという彼の「霊的な経歴」は印象的だ。
今の日本のような国では、かなり特殊な家庭(代々の寺社住職の家庭とか代々のクリスチャン家庭、熱心な新興宗教の家庭など)でない限り、漠然とした神仏混淆、お宮参りも盆もクリスマスもありで、聖バレンタインの祝日もイースターもチョコレートがあればOKみたいな雰囲気なので想像もつかないだろう。でもアルコール依存の時期もあったというフォッセさんが自分で語った霊的遍歴は、宗教と関係のない(少なくともノルウェーでは)普通のメディアでも取り上げられている。
まずノルウェーでクェーカー教徒の家庭に生まれた。(ここで解説している暇はないけれど特徴的なマイノリティだ。)
そのカルト的空気を嫌って、ノルウェーのマジョリティ(85%)のルター派プロテスタントに漠然と鞍替え。(ルター派はノルウェーの憲法にも明記されていて国王が首長。政教分離原則はない。)でも、最初からマジョリティの人ならあまり意識していないだろうけれど、マイノリティから来た彼は、ルター派の謹厳な部分にも圧力を感じて、結局「無神論者」になった。つまり神を否定。その後でアグノスティック、つまり「不可知論者」になる。神がいるかどうかは所詮人間には分からない、と判断保留という立場だ。で、その後、50代に入って、2013年にカトリック信者の洗礼を受けた。
カトリック(普遍)という立場の許容性に居場所を見つけたということだろうか。
このような時代と国の中での魂の遍歴みたいなものが彼の文学の核にあるのだろうし、それが、宗教の教義などとは関係なく、人間性に迫り、普遍的な共感を生むのだろう。
「神」や「神への懐疑」も含めて、精神的なものは、消費するものでなく生きるものなんだろうなと思う。「超越」への感性があってはじめて「本当に生きる」ことになるのかもしれない。