これを書いているのは、カトリック界で第二ヴァティカン公会議以来の「改革」がなされると言われるシノドスが始まって数日後の10月初め。
女性も50人以上参加するし、同性結婚の祝福は可能か、安楽死、中絶、いろいろな問題に、カトリック教会がどう対応するのか注目されているのだが…。
第一セッションはグループに分かれての会合が毎日午前と午後に行われる。
公会議との大きな違いは、公会議ではすでに司教たちが原案を持っていて、それについて議論が交わされた。
このシノドスでは「議論」でなく「会話」なのだという。
みなが自由に意見を述べる。
「議論」ではないから、「論拠」を必要としない。
なるほど。
他人の意見を「論破」したり自分の考えを「正当化」する必要もない。
正誤、善悪、勝ち負け、右派と左派など、もろもろの「論戦」がないという。
キリスト教は「受肉」の宗教だから、いつも、ある時代に生きている人たちの中に生きている。だから「進化」するのは当然だ。
普遍性というのは、等質の押し付けではなくて、すべての部分が関係しながら調和を探る、問いを投げかけ続けることなのだ。すべての細胞に命が宿って体を生かせているようにだという。
「議論」しないって、すごい発想だなあと思った。
後は、「聖霊」の出番ということだろう。