講演の後、パリ外国宣教会と満州宣教の歴史の展示会を見る。

アムールの岸辺に――北中国への宣教 1838-1949

つまり満州、ということで、参加したばかりの講演の中で触れられた日中戦争と同様、日本人としては好奇心だけでは見ることができない。


宣教師たちもはじめは、まさに「冒険」でいろいろな記録を残した。
カトリックの宣教師たちは必ず「独身」であることも手伝って、「冒険者」、異文化発見わくわくの人たちがたくさんいた。文化人類学の先駆者もたくさんいた。
これはGuilyaks族の熊祭りの写真1870年代。(絵ではなく写真とある)

宣教師が持ち帰ったアヘンの秤。

宣教師が発見したという仏塔。
「中国人に宣教するのは大声で叫ぶことで、叫ばないと沈黙しているのと同じです。しかも侮蔑語などを混ぜなくてはなりません。耳をつんざかないと心に届きません。それが中国語です。」とある宣教師がフランスのおじに書いた手紙が展示されていた。あらゆる宣教師はまず中国のパリ外宣経由で中国語を学んだ後各地に旅立ったという。フランス語と中国語の音楽性は対極のところにある。情熱が語学を習得させたのだろう。
私にも満州から引き揚げた親戚がいる。伯父(故福田首相の帝大同期だとかで、卒業後間もなく満州国の要職に就いたと聞かされた)夫婦と三人の息子は引き揚げてきた戦後にいろいろ苦労したのだろう。私の子供の頃は、松島トモ子やら加藤登紀子らの満州引き揚げ組のスターがいたので、「満州」はある意味で身近にあった。そして、侵略者の立場であろうとなかろうと、罪のない子どもたちの悲劇は昨今の世界事情と変わらない。宣教師たちがどのように生きたのかを見ることで得られることがあると信じたい。
満州と関係ないと思うけれど私の好きな十字架。