この本のページを繰っていくと、パリって、モンマルトルだなあ、と、ジェラール・ルタイヤールにすっかり洗脳されてしまう。
彼はカフェやビストロの由来についての歴史書もたくさん出している。
西部劇、ウェスタンの映画はモンマルトルで生まれたとルタイヤールは言う。
1905年にモンマルトルでバファロー・ビルのショーWild West Show が上演された時、それを撮影して短編映画に仕立てたものがアメリカで評判になって「西部劇」というジャンルができたのだそうだ。
パリの居酒屋ビストロの語源はいろいろあるらしいが、ルタイヤールは1814年にロシア兵が来て料理を催促するときに「早く、早く」と急き立てたロシア語から来ているという。(ネットで聞いてみると確かに似ている)
パリにロシア兵?
なるほど1814年はナポレオンが英・独・墺、露らの連合軍に敗北した年だ。ロシア兵がパリのカフェや居酒屋に入ってきてもおかしくない。
これを1880年代という人もいる。その場合はドイツ兵なんだそうだ。1870年普仏戦争のあとでやってきたドイツ兵が
呼び始めたのが起源だとか。19世紀のパリは2度、敵対する軍隊の侵略を赦し、それがトラウマになっているというのはわかるけれど、それが「ビストロ」と結びつけられるのはおもしろい。
第二次世界大戦中のナチスによる占領の時期にドイツ語から入って定着したとされる言葉のことは知らない。そういう雰囲気ではなかったということだろうか…。